Q.カンヌ国際映画祭パルムドール受賞とアカデミー作品賞受賞、それぞれ喜びの質に差はありましたか?
ポン・ジュノ監督:個人的には“衝撃”と“歓喜”が共存しているので、2つを比べるのは簡単なことではないのですが・・・。カンヌには、イニャリトゥ監督やケリー・ライヒャルト監督など、私が個人的に好きな監督が審査員の中にたくさんいました。ヨルゴス・ランティモス監督など、私が普段から好きだった監督がこの映画を好きになってくれたという喜びがとても大きかったです。審査員長を務めていたイニャリトゥ監督が「満場一致だった」ということをとても強調してくれて、よりうれしく思いました。アカデミーは8000人以上の方が投票しているので、それぞれのお名前やお顔は知りません。そして、私とソン・ガンホ先輩をはじめ、みんなで5か月以上に及ぶオスカーキャンペーンという長く複雑な道のりを初めて体験しました。キャンペーンの最中はとても長い時間だったので、本来シナリオを書くべき時間なのに何をやってるんだろうと思ったり、暗く感じられたり、大変だなと思ったこともあるのですが、今振り返ってみると、あのキャンペーンは、とても複合的で巨大なスケールの中で映画を検証していくというプロセスもあったように感じます。この映画のどこが優れているのか、どんな想いでみんなが参加しているのか、どのようにこの映画が作られているのか、映画に対して長い道のりの中で一つ一つ検証されていくという印象を受けました。
ソン・ガンホ:もちろんカンヌもアカデミー賞も同じようにうれしいことではありました。ただ、カンヌ国際映画祭での賞は、初めて賞をいただいたということもあり、あまりにもうれしくて、ポン・ジュノ監督の胸元を強く何度も叩いてしまいました。そのことによってヒビが入ってしまったという話を聞いて、アカデミー賞のときは胸を叩くことは避けて、首元をつかむとか背中や頬を叩くようにしました。笑えないハプニングではありますが、すごくうれしいんですが、ポン・ジュノ監督の痛いところを避けて喜ばなくてはいけないということがありました。
Q.2006年公開の「グエムル-漢江の怪物-」という作品では、ウイルスが蔓延したかのような状況で社会がパニックになった時に国家がどのように向き合うかというのがテーマになっていたと思います。そして、今まさに東アジアで同じような状況になっていますが、お2人はどのように思っていますか?
ポン・ジュノ監督:「グエムル-漢江の怪物-』」でウイルスの話は出てきますが、結局ウイルスはなかったと明かされますよね。最近の状況を見ていると、浦沢直樹さんの「20世紀少年」などが思い出されます。こういった現実と創作物が、時代の流れの中で相互に侵入し合っていくというのは自然なことなのではないかと思います。実際のウイルスや細菌が体の中に入るという恐怖以上に、人間の心理が作り出す不安や恐怖の方が大きいのではないかと思います。そういった不安や恐怖に巻き込まれすぎてしまうと、逆にそういった災害を克服するのが難しくなってしまうのではないかと思います。「グエムル-漢江の怪物-」では、実際には存在しないウイルスをめぐって人々がパニックに陥り、そこから起こる騒動が描かれていました。今は映画とは違い、実際にウイルスも存在しているわけですが、この事態にあまり恐れすぎてしまうともっと恐ろしいことが起きてしまうのではないかと思います。もうじき私たちはこの問題を懸命に乗り越えていくのではないかと、希望的に捉えています。
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