防弾少年団(BTS)、少年たちが世界を泣かせる…防弾の血と汗と涙

◆ たれもが認める努力派、パク・ジミン(ジミン)

1995年に釜山(プサン)で生まれたジミンの座右の銘は、「できなくなるまでしてみよう」だ。チームに一番最後に合流した彼は、メンバーはもちろんBig Hitの職員たちも認める「練習の虫」だ。練習生になる前は、2年間釜山芸術高等学校でモダンダンスを学び、メンバーのポジションが全て決まった後に入って来たのでBig Hitの悩みも深かったが、あまりにもまじめに練習するし、粘りと情熱を見せたためメンバーに選ばれた。

今は舞台でモダンダンスを専攻したのが輝やいているが、練習の過程では足を引っ張った。ジミンはあるバラエティ番組で「練習生に抜擢された後、ダンスをうまく踊ることができなくてデビューが難しくなるところでした」として「モダンダンスと(K-POP)ダンスがあまりにも違います」と思い浮かべた。彼には練習だけが生きる方法だった。どれほどせっぱつまれば、スタッフが練習を止めるほどに徹底して休まないメンバーだったという。

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2018.12.05