防弾少年団(BTS)、少年たちが世界を泣かせる…防弾の血と汗と涙

◇ EPIK HIGHが変えた人生、キム・ナムジュン(RM)

「僕は韓国のソウル近郊に位置した一山(イルサン)という都市で生まれました。そこは湖と山があって、毎年花祭りが開催される美しい所です。そこで幸せな幼少時代を過ごし、僕はただ平凡な少年でした」

RMが、9月24日(現地時間)にニューヨークのUN本部信託統治理事会会議場に準備されたUN総会の舞台で語った言葉だ。1994年、ソウルで生まれて京畿道(キョンギド)一山で育った彼は、デビュー初期に使った名前であるRAP MONSTERでも、現在の活動名であるRMでもない「キム・ナムジュン」だった時代を思い浮かべた。幼い時の彼の安息所は「音楽」だったという。夢を確実に決めたきっかけになったのは、グループEPIK HIGHが2005年10月に発表した「Fly」を聴いてからだ。その時から世の中が変わった。

彼は、「ラップで人の話を綴ることができるということに衝撃を受けました」と語った。ヒップホップコミュニティに自作ラップをあげてクルーを作って公演をするなど、デビュー前からまめに活動を展開してきた。舞台で華麗なラップを駆使するRMに目をとめたラッパーのSleepyが彼をパン・シヒョク代表に紹介した。パン代表は、RMを初めて見た時「私の基準で本当にうまかった」としながら「無条件デビューさせなくてはいけないという召命意識を感じた」と明らかにした。実は、ヒップホップ歌手に育てるつもりだったが、アイドルグループではなければ歌謡界で生き残りにくいという一部の意見を受け入れて今の防弾少年団を作った。その手始めがRMとなるわけだ。

RMは、歌に自分が感じた内容をうまく盛り込む。パン代表は防弾少年団に、「社会に必要な話をする人が必要だ」と教え、彼もこれに共感した。公式的な場でRMは、彼らの真心が大衆の心を動かしたと確信を込めて語る。自身の話を歌にこめるラッパーになると思ったが、躍動的なダンスまで見せなければならないアイドルグループとしてデビューをするために準備しながら混乱したという。ジンと同じく、やはりRMもダンスの練習を難しがるメンバーのひとりだった。この過程で彼の心を変えたのは、あるファンの心のこもった助言のおかげだった。「アイドル歌手は特定ジャンルの異なった概念です。恥ずかしがらずに、今アイドルとして見せることができるエネルギーを全て見せてください。アーティストという言葉は、他人にはない面を表現すれば自然についてくる名札です」という手紙だった。RMはあるインタビューで「アイドルは辞典では『偶像』です。僕の話と考えを代弁してくれる存在です」としながら、「防弾少年団が真のアイドルになったら嬉しいです」と述べた。

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2018.12.05