また、そのようにしながらも、映画・演技の話になると、真面目で根っからの映画俳優なんだなということも感じられた。モデルとしてデビューしたが、モデルとしてさらなる成功を収めるには演技レッスンを受けた方がいいと聞き、初めてレッスンに行ったとき、すぐに“あぁ、僕は俳優になるな”と思ったというカン・ドンウォン。
シナリオを選ぶ基準は、まずは完成度を見て、次に起承転結がしっかりしているか、題材が新鮮か、そして、BEP(損益分岐点)を超えられるかを見極めるという。自分のお金で撮るわけではないので、負担を感じるのだとか。自分と制作陣を信じて投資してくれる人に対し、少なくとも銀行の利息くらいは儲けさせるのが道理だと考えているそうだ。
それぐらい使命感にあふれ、本気ということだが、それゆえ映画「私たちの幸せな時間」では死刑囚の役を演じた後、役からなかなか抜け出せず、悪夢を見始め、それが1年くらい続いたという経験も。終わった役から早く抜け出す一番の方法は次の作品に入ることだと話し、カン・ドンウォンのワーカホリックぶりはこのような発言からもよく分かる。
映画祭で新人賞を受賞したとき、「死ぬまで一生懸命頑張ります」と受賞コメントをしたことを今でも覚えているというカン・ドンウォンは、「仕事をするのがとても楽しい。以前は仕事でストレスを感じていたけれど、最近は仕事をしているときが一番幸せ」と語った。役を通して、誰かに癒し、あるいは楽しさを届けられる仕事であり、作っていく過程そのものが楽しいのだとか。
映画「ベイビー・ブローカー」のとき、役作りのため出会った保育園の園長や子供たちから感謝されたというエピソードを明かしながら、「もっといい社会になるよう少しでも役に立てたらうれしい」とも。
楽しいうえ、意味のある仕事でもある俳優という仕事に就けて本当によかったし、この仕事が本当に好きだと語ったカン・ドンウォンは、引退などは全く考えていないようで、新人賞受賞時と心は変わらず「死ぬまで演技をする」とし、「もし病気にでもなったら、病気になった人の役を演じたい」とさえ語り、覚悟を持って俳優の仕事に向き合っていることを垣間見せた。
そんなカン・ドンウォンもいつしか40代に突入。以前だったら“どうしてこれじゃダメなんだ”と腹を立てていたことも、今は“ダメなんだったら自分がもっと頑張ろう”と思うようになり、怒ることもなく、余裕が出てきたという。
番組の最後、ユ・ジェソクに「次バラエティーに出演するのはいつ?」と聞かれ、「20年後」と答えたカン・ドンウォンは「そのときは旅に行くものでも(笑)」と自ら提案。それは面白そうだとばかりに、3人はノリノリで指切りをしながら20年後の共演を約束した。テロップでも「カン・ドンウォンと共にする旅バラエティー coming 20years later」と遊び心いっぱいに盛り立てたが、その答え合わせは20年後だ。
WOW!Korea提供