「朝鮮王朝実録」の1701年9月23日の記述を見ると、粛宗(スクチョン)が張禧嬪(チャン・ヒビン)の行状を罵倒しています。「就善堂(張禧嬪の住まい)の西側にひそかに神堂を建てて、いつも2、3人の怪しげな者たちと祈祷をして、おかしなことを続けていた。こんなことが許されるなら、一体どんなことが許されない…
粛宗(スクチョン)は、一度は廃妃にした仁顕(イニョン)王妃を復位させようとしました。それは同時に、張禧嬪(チャン・ヒビン)の王妃失格を意味していました。こうして南人派が弱くなり、西人派が勢いを強めていきます。 王妃に戻った仁顕王后 「朝鮮王朝実録」の1694年4月12日の記録に載っている粛宗の発言で…
時代劇『イ・サン』の主人公になったのが22代王の正祖(チョンジョ)だった。朝鮮王朝の正式な歴史書である「朝鮮王朝実録」を読むと、小さい頃から大変な苦労をしていることがよくわかる。 7歳しか違わない祖母 1762年、正祖が10歳のときのことだ。父の思悼世子(サドセジャ)は祖父の21代王・英祖(ヨンジョ…
朝鮮王朝には27人の王がいた。名君から暴君まで様々な人間が王位に就いていたが、一番異質な王を1人だけ挙げろと言われれば、それは25代王・哲宗(チョルチョン)を置いて他にいない。なぜ、彼が異質だったのか。それは、田舎の無学な青年が青天の霹靂で王になったからである。 突然の即位 24代王の憲宗(ホンジョ…
「朝鮮王朝実録」の1689年5月6日の記述です。粛宗(スクチョン)は重臣を集めて、1日も早く王妃を決めなければならないと語った後、「張禧嬪(チャン・ヒビン)をただちに王妃に冊封(王族の重要な地位に任命すること)したい」と力説します。 二大派閥の対決 粛宗の言葉を聞いて重臣たちは困惑し、「いつ頃、新し…
韓国時代劇『オクニョ 運命の女(ひと)』は朝鮮王朝の13代王・明宗(ミョンジョン)の統治時代の話である。しかし、明宗は名ばかりの王だった。実母の文定(ムンジョン)王后が強権を持って官僚たちを牛耳っていたからである。 19歳上の兄 明宗は1534年に生まれた。父は11代王・中宗(チュンジョン)で、母は…
ドラマ『トンイ』では、主人公のトンイと張禧嬪(チャン・ヒビン)が激しく戦いました。史実では、2人はどのようにライバルとなっていったのでしょうか。朝鮮王朝の正式な歴史書である「朝鮮王朝実録」を通して、トンイと張禧嬪の関係を見ていきます。 粛宗の怒り 「朝鮮王朝実録」の1688年10月27日の記述です。…
ドラマ『華政(ファジョン)』の主人公になっていた貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)。果たして、どのように波瀾万丈な日々を送ったのだろうか。彼女の結婚を中心にその人生をたどってみよう。 9年間の幽閉生活 貞明公主は1603年に14代王・宣祖(ソンジョ)の娘として生まれた。母は、宣祖の二番目の正室だっ…
『ヘチ 王座への道』では、主役のチョン・イルが若き日の英祖(ヨンジョ)を演じている。ドラマは、低い身分の血を受け継いだ「歓迎されない王子」が朝鮮王朝の政治を改革するまでを描いているのだが、果たして英祖とはどんな国王だったのか。 無慈悲な父なのか 朝鮮王朝で52年間も王位に就いていた21代王・英祖(ヨ…
古代の三国時代を描いた韓国時代劇を見ると、臣下の者たちが王に対して「陛下」と呼びかけている。読み方は語尾を伸ばして「ペーハー」となる。しかし、朝鮮王朝時代を描いた作品では、王のことを「殿下」と呼んでいる。こちらも語尾を伸ばして「チョーナー」となる。同じ王なのに、三国時代と朝鮮王朝時代では王に対する呼…