1592年4月に始まった朝鮮出兵。前年に、豊臣秀吉が大陸制覇をもくろんでいることを知った14代王の宣祖(ソンジョ)は、日本の内情を知るために使節を京都に派遣した。その使節の正使は黄允吉(ファン・ユンギル)で、副使は金誠一(キム・ソンイル)だった。 意見の対立 日本の情勢をうかがって戻っ…
朝鮮王朝の歴代王の言動を詳しく記した正史の「朝鮮王朝実録」。原文は漢文で、現代の韓国人も読めるようにハングルに翻訳されているが、そのハングル版を毎日100ページずつ読んでも、すべてを読破するのに4年半の歳月がかかると言われている。 鄭道伝の最期 建前で言うと、「朝鮮王朝実録」はときの王…
1777年7月28日の深夜、即位して2年目の正祖(チョンジョ)は王宮で本を読んでいた。突然、王宮の回廊の上から、瓦を踏む足音が聞こえてきた。正祖は耳をすませた。どう考えても、人間の足音にしか聞こえなかった。 王宮に移転が実行された 「怪しい者が忍び込んできたのか……」 そう察した正祖は…
9代王の成宗(ソンジョン)は政治的には名君でしたが、女性問題で王宮を騒がせたことが何度もありました。その最たることが、燕山君(ヨンサングン)の生母が廃妃(ペビ)になった事件でした。 呪術的な儀式 成宗にとって不運だったのは、最初の妻が10代で病死してしまったことです。王はすぐに再婚する…
朝鮮王朝では未成年の王が即位した場合、王族最長老の女性が代理で政治を仕切ることになっていた。そういうときこそ、政治が大いに乱れた。腐敗政治の元凶になった3人の大妃(テビ/王の母)を取り上げてみよう。 本当の巨悪とは? 朝鮮王朝の悪女というと、よく「三大悪女」が話題になる。その3人とは、…
仁粋大妃の功績で有名なのは、『内訓(ネフン)』という本を著したことです。女性が守るべき道徳、倫理、生活態度などをまとめた本で、いわば上流階級にいる女性のための修身の教科書です。 悲惨な最期 『内訓』の内容も、男尊女卑の風潮が強かった当時の社会を反映して、“親に従い、夫に従い、子に従う”…
6代王の端宗(タンジョン)の祖父は4代王の世宗(セジョン)で、父が5代王・文宗(ムンジョン)である。ともに学識にすぐれていた王として有名だ。その血を受け継いで、端宗も文治主義の王政を行なうのに十分な素養を持っていた。 実現しなかった復位騒動 端宗は、1452年に王位を継承したものの、3年後の1455…
古代の三国時代から朝鮮半島では仏教が根づいていたのに、朝鮮王朝の建国後は迫害を受け続けた。現在の韓国でも仏教寺院が山中に多く存在しているのは、朝鮮王朝時代に次々と市中から追放されたなごりである。 仏教から儒教へ 高麗王朝を建国した王建(ワン・ゴン)は、遺訓の中で「仏教を手厚く保護すること」を強調して…
仁粋大妃は息子の成宗(ソンジョン)がまだ10歳だったので、垂簾聴政(すいれんちょうせい)が必要でした。これは、幼い王の背後に御簾(みす)をたらし、その奥から摂政の人が重要な政治的決定をするというものです。 熱心な仏教徒 垂簾聴政を朝鮮王朝で初めて行なったのが貞熹王后です。ただし、貞熹王后は学がなくて…
朝鮮王朝には42人の王妃がいたが、中でも慈愛に包まれた人格者の王妃が5人いた。その5人とは、顕徳王后(ヒョンドクワンフ)、孝懿王后(ヒョウィワンフ)、端敬王后(タンギョンワンフ)、昭憲王后(ソホンワン)、仁顕王后(イニョンワンフ)である。 最初の3人 顕徳王后(ヒョンドクワンフ) [1418~144…