「朝鮮王朝実録」は、朝鮮王朝の正式な記録だ。王が亡くなったあとで特別な編集委員会が設けられて、王に関する日記や公式会議を基に、何年もかかって作成された。基本方針として内容の客観性が重視された。しかし、実際には意図的な記述も目立つ。特に、クーデターで王位を奪った場合、追い出した王の非行をことさら強調す…
時代劇『トンイ』の主人公トンイのモデルとなった淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)は、ドラマで描かれたような聖女ではなかった。政治の裏舞台でいろいろと暗躍した女性なのである。 ライバルは張禧嬪 19代王の粛宗(スクチョン)の統治時代には、政治の主導権をめぐって二大派閥が争っていた。 その二大派閥が西人派と…
張禧嬪(チャン・ヒビン)は親戚に通訳官をしている人がいたことから、そのコネで女官として王宮に入ってきた。大変な美女だったということで、やがて19代王・粛宗(スクチョン)の寵愛を受けるようになった。 わがままな振る舞い 粛宗の母親である明聖(ミョンソン)王后は、張禧嬪は息子にとって危険な存在だと感じ、…
朝鮮王朝では、王や世子が結婚する時期を迎えたら、まず、王家に嫁を出せる身分(貴族階級ともいえる両班〔ヤンバン〕がほとんど)の家に対して「禁婚令」が出され、若い娘の結婚が禁じられました。 敬遠された理由 なぜ、良家に禁婚令が出されたのでしょうか。 それは、良家の娘を全国から選んで嫁に迎えるという意思を…
雨森芳洲の肖像画 朝鮮通信使は、江戸時代に12回来日している。第1回目の来日は1607年。それ以来、徳川将軍の代替わりの慶事によく日本を訪れた。一行の規模は400~500人。釜山(プサン)を出航してから船で瀬戸内海を通って大阪に上陸し、淀川を上って京都に着いてからは陸路で江戸をめざした。 雨森芳洲の…
写真=韓国KBS『トンイ』公式サイトより 一度は廃妃になった仁顕(イニョン)王后が王妃に復位したのは1694年の春だった。その頃、粛宗(スクチョン)が寵愛していたのが、側室の淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)である。ドラマ『トンイ』の主人公になった女性だ。 2人の王子 仁顕王后の復位にともなって王妃から…
慶熙宮の正殿となる崇政殿 1592年、長く朝鮮王朝の正宮としての役割を果たしてきた景福宮(キョンボックン)が、朝鮮出兵の際に焼失してしまった。戦乱が終わっても、王は住む場所にさえ困るようになった。そんな状況の中で、1617年に建設が始まって1623年に完成したのが慶熙宮(キョンヒグン)…
韓国時代劇『華政(ファジョン)』の主人公になっている貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)。彼女は歴史的に「まれなほどの大地主になった王女」として知られる。どのようにして、貞明公主は広大な土地を所有することになったのだろうか。 晴れて自由になれる日 貞明公主は、14代王・宣祖(ソンジョ)…
韓国時代劇を通して「朝鮮王朝の三大悪女」という呼び方がよく知られるようになりました。しかし、朝鮮王朝の悪女は3人だけではありません。仮に「五大悪女」にするならば、あと2人は誰を入れればいいのでしょうか。 張緑水と鄭蘭貞 最初に三大悪女の顔ぶれを見てみましょう。 それは張緑水(チャン・ノ…