【時代劇が面白い】トンイと張禧嬪はなぜ争ったのか1「仁顕王妃の廃妃」

ドラマ『トンイ』では、主人公のトンイと張禧嬪(チャン・ヒビン)が激しく戦いました。史実では、2人はどのようにライバルとなっていったのでしょうか。朝鮮王朝の正式な歴史書である「朝鮮王朝実録」を通して、トンイと張禧嬪の関係を見ていきます。

粛宗の怒り

「朝鮮王朝実録」の1688年10月27日の記述です。
「昭儀(ソウィ)に昇格していた張氏が王子を出産した」。
このとき、粛宗(スクチョン)は27歳でした。初めての息子を得たわけです。
王子を出産する前までの張禧嬪の品階は昭儀でした。これは正二品に該当します。ちなみに、側室の品階は正一品から従四品まで8段階あります。
そして、王にどれだけ寵愛されているかによって側室の品階が上下します。張禧嬪は王子を出産時に昭儀でしたが、功績を評価されて側室の最高位の正一品になります。この品階は「嬪(ピン)」と呼ばれており、ここで張禧嬪という名が確立されたのです(本来は張玉貞〔チャン・オクチョン〕という名前でした)。
次に、1689年4月21日の記述を見てみます。重臣たちを前にして、粛宗が正室の仁顕(イニョン)王后を非難します。
特に、仁顕王后が張禧嬪のことを「福がない人で、宮中にいればわざわいをもたらすでしょう」と見なしたことを粛宗は問題視していました。

粛宗は憤慨してこう言います。
「婦人の妬みというのは昔からあることだが、王妃は恐ろしいことを平気で言う。こんな人間は古今を通じても、そんなにいるものではない」
さらに、粛宗は仁顕王后を離縁する意思を告げます。それを聞いた重臣たちは反対しますが、粛宗は強弁を続けます。
「王妃は子が生まれても喜ばなかった。むしろ、『本当に意外なことですね』と言っていた。嫉妬するだけでなく、余をだまそうとさえしたのだ。余にこれ以上何ができるというのか」
粛宗の話は芝居じみています。完全に開き直り、強引に仁顕王妃を廃妃にしようとしているのです。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
(次に続く)

コラム提供:ヨブル

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2020.10.23

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