1623年3月12日の明け方、仁祖(インジョ)に統率された1000人あまりのクーデター軍が王宮を襲い、光海君は王の座から追放された。そのとき、クーデター軍は光海君の罪状を4つ掲げた。それが、反乱を起こした大義名分になったのだ。 王宮の再建は必要だった クーデター軍が大義名分として挙げた4項目とは何か…
1552年に11代王・中宗(チュンジョン)の孫として生まれた宣祖(ソンジョ)。しかし、彼は側室から生まれた息子なので本来なら王になれるはずがなかった。なぜ彼は王として即位することができたのだろうか。 宣祖の後継者問題 13代王・明宗(ミョンジョン)には正室が産んだ息子が1人いた。 しかし、その明宗の…
朝鮮王朝の22代王・正祖(チョンジョ)は、ハングルを創製した聖君・世宗(セジョン)と並ぶほどの名君と評価されている。何よりも、頭脳明晰で学者顔負けの博識だった。彼はドラマ『イ・サン』の主人公としてもよく知られている。 ドラマになかった毒殺説 韓国で歴史好きな人は「正祖は毒殺されたのではないか?」と思…
「朝鮮王朝三大悪女」の1人として知られる鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)。彼女の人生は波乱に満ちたものだった。鄭蘭貞は、いったい何をして悪女と呼ばれるようになったのだろうか。 妓生となった理由 鄭蘭貞は、役人の父親と最下層の身分である奴婢の母親の間に生まれた。母親が奴婢の場合、子供の身分も同じになるため…
『七日の王妃』の主人公になっている端敬(タンギョン)王后は、わずか七日間だけ王妃になっていて、その後に廃妃(ペビ)となっている。なぜ、彼女は国王から離縁されなければならなかったのだろうか。 燕山君の異母弟 10代王の燕山君(ヨンサングン)は最悪の暴君だった。 王宮の中で酒池肉林に明け暮…
朝鮮王朝の11代王だった中宗(チュンジョン)は1488年に生まれた。父は9代王・成宗(ソンジョン)で、母は貞顕(チョンヒョン)王后だった。中宗は『宮廷女官 チャングムの誓い』でもおなじみの国王である。 赤いチマ岩の伝説 ◆中宗は、王子の時代に晋城大君(チンソンデグン)と呼ばれていた。暴…
14代王の宣祖(ソンジョ)には14人もの息子がいた。しかし、正室は長く病床にあったので、息子はすべて側室から生まれた庶子であった。その中で、長男の臨海君(イメグン)と二男の光海君(クァンヘグン)が世継ぎ候補になっていた。その後継者争いは、どんな展開になったのか。 待望の嫡男 後継者争い…
朝鮮王朝最高の聖君と言われた4代王・世宗(セジョン)の二男に生まれた世祖(セジョ)。彼は7代王になる過程で、甥から王位を奪って死罪にして、弟も殺している。非道な世祖は晩年に次々と悲劇に見舞われたのだが……。 非道をつぐなうかのように 甥の端宗(タンジョン)から王位を奪って即位した7代王…
申叔舟(シン・スクチュ)は15世紀の朝鮮王朝を代表する知識人だった。ドラマ『王女の男』の中で申叔舟は、巧みな勧誘を拒めなくなって、ついに首陽大君(スヤンデグン)の味方になっていく。しかも、物語が進むにつれて、申叔舟自身の欲もクローズアップされた。彼は出世に目がくらんだ男だったのだろうか。 言語の達人…
1392年から1910年まで続いた朝鮮王朝。国王は27人いたが、その中で亡くなる前に王位から降りた人は8人いる。隠居、譲位、クーデター……など、その由はさまざまだ。その経緯を振り返ってみよう。 建国当初は生前退位が続いた 亡くなるまで国王であり続けることが原則。しかし、27人の国王の中で8人は、それ…