韓国時代劇を見ていると、朝鮮王朝の国王が命令を出しても、臣下の者たちが反対して従わないシーンが出てくる。それは史実にのっとっている場合が多く、正史の『朝鮮王朝実録』には、王に対して高官たちが反対意見を述べる場面がよく掲載されている。 我を通した粛宗 朝鮮王朝は王を頂点とする中央集権国家で王の命令は絶…
ハングルの基となったのが、4代王・世宗(セジョン)が1443年に完成させた「訓民正音(フンミンジョンウム)」である。しかし、なぜかその創製過程に関する動きは一切記録されていない。漢字を使わない新しい文字創製に、公然と反対する勢力も多かったというのだが……。 民族固有の文字 1418年に…
それは1800年6月のことだった。正祖(チョンジョ)は急な発熱で体調を崩した。からだに大きな腫れ物もできた。その痛みに苦しみながら、彼は薬を調合する現場を自ら視察している。毒殺されることを極度に警戒していたからだ。 徐々に衰弱していく正祖 正祖が苦痛を明らかにしたのは1800年6月だっ…
『トンイ』ではチ・ジニが演じた粛宗(スクチョン)。ドラマでは人の良い国王として描かれていたが、実際の粛宗は、官僚たちを対立させて消耗させるという戦略家の一面を持っていた。そのおかげで、彼は王権を強化することに成功した。 鋭い感性の持ち主 粛宗は1661年に生まれた。 彼の気質は、母親によく似ていたと…
朝鮮王朝時代は、身分制度がとても厳格だった。最下層の身分は奴婢(ぬひ)だったが、最上位は王族を除けば両班(ヤンバン)であった。そんな身分制度の中で、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)は女性としては最高の品階を得た。もともと彼女は奴婢の出身であったのだが……。 女性として民間トップ 朝鮮王朝時代には、最高峰…
仁穆(インモク)王后は光海君(クァンヘグン)にとって継母にあたる女性だった。しかし、2人の関係は後に険悪となった。王位を安定させるために、光海君が仁穆王后の最愛の息子の命を奪ったからだ。 用意周到なクーデター 仁穆王后は、14代・宣祖(ソンジョ)の継妃であった。彼女は、宣祖の後を継いで即位した15代…
尹元衡(ユン・ウォニョン)は、11代王・中宗(チュンジョン)の継妃となった文定(ムンジョン)王后の実弟である。その尹元衡の妾となったのが鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)であった。 ドラマは出会いをどう描いたか 妓生(キセン)となっていた鄭蘭貞は、どのようにして尹元衡に近づいたのか。 史実で…
中宗(チュンジョン)、粛宗(スクチョン)、英祖(ヨンジョ)は韓国時代劇にひんぱんに登場する国王だが、逆にほとんど出てこない国王もいる。17代王の孝宗(ヒョジョン)と18代王の顕宗(ヒョンジョン)がそうだ。2人は果たして、どんな国王だったのだろうか。 異例の即位 1649年に即位した17…
1623年、綾陽君(ヌンヤングン)がクーデターを成功させて、光海君(クァンヘグン)を王宮から追放した。代わって、綾陽君は16代王・仁祖(インジョ)として即位した。これによって、離宮に幽閉されていた仁穆(インモク)王后と貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)は解放された。 3歳年下の婿 す…
9代王・成宗(ソンジョン)の母が仁粋(インス)大妃だ。彼女は成宗の二番目の正室だった尹氏(ユンシ)のことを「育ちが悪いし、野心的すぎる」と嫌っていた。その感情が尹氏をどんどん追い込んでいった。 初めての廃妃 母の仁粋大妃が嫌っていることもあって、成宗は尹氏の部屋を訪ねることが少なかった。その分、成宗…