安平大君(アンピョンデグン)は、朝鮮王朝最高の名君と評価される4代王・世宗(セジョン)の三男として1418年に生まれた。この1418年というのは、まさに世宗が即位した年であった。 競争心が強かった兄弟 世宗には多くの息子がいた。 長男は後に世宗の王位を継いだ文宗(ムンジョン)だ。 そして、二男が首陽…
廃妃(ペビ)・尹(ユン)氏は、9代王・成宗(ソンジョン)の二番目の正室となった斉献(チェホン)王后のことである。しかし、彼女は王である成宗に無礼を働いて王宮を追放されてしまう。一体何をしたのだろうか。 嫉妬深い性格 もともと側室だった尹氏。彼女が9代王・成宗の正室となったのは、最初の正室だった恭恵(…
光海君が最後に流された済州島(チェジュド)の夕景 1623年にクーデターで王宮を追われた光海君(クァンヘグン)。廃位になってしまった彼は、一家と共に江華島(カンファド)に流罪となった。その後、どうなったのだろうか。 斬首の危機 光海君がクーデターで王宮を追われた後、新しい王位には16代王・仁祖(イン…
燕山君は、9代王の成宗(ソンジョン)の長男として1476年に生まれた。彼は母の愛を知らず我がままに育った。実は、母の斉献(チェホン)王后は、自分以外の側室に目を向ける成宗に嫉妬して、宮中に呪いの言葉を持ちこんで追放されていたのである。 少年時代も最悪 自尊心があまりに強かった斉献王后は、やがて精神を…
朝鮮王朝でも特に有名な三大悪女といえば、張緑水(チャン・ノクス)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、張禧嬪(チャン・ヒビン)の3人だ。彼女たちはどんな手段を使って高い地位を得ていったのだろうか。 国家の富を私物化! 張緑水(チャン・ノクス)は、極貧の中で育った。あまりの貧しさに、身体を売って糊口をしのぐ…
20代王の景宗(キョンジョン)は1724年に亡くなり、異母弟が後を継いで21代王・英祖(ヨンジョ)となった。このとき、「英祖が兄を毒殺したのではないか」という噂が出て、国中が大騒動に巻き込まれた。その噂には根拠があった。 英祖は粛宗に似ていなかった 景宗が病床に臥せっているとき、主治医…
1680年、張禧嬪(チャン・ヒビン)が女官として宮中に入ってくると、その美貌がたちまち評判となって粛宗の目にとまった。そのとき、粛宗が19歳で、張禧嬪が21歳になっていた。 我が子の将来のために 粛宗の母の明聖(ミョンソン)王后は張禧嬪を毛嫌いした。美貌に隠された野心を見抜いたからであ…
朝鮮王朝は儒教を国教にしていたが、儒教の最高の徳目と言われたのが「仁」である。この漢字を諡(おくりな/死後の尊号)につけているのが12代王の仁宗(インジョン)だ。「彼ほど親孝行な王族はいない」と言われたほどの人物であった。 父の病状回復を祈念 朝鮮王朝の歴史の中で残念なことはたくさんあ…
日本に韓国時代劇が定着するきっかけになった作品といえば、それはやはり『宮廷女官 チャングムの誓い』である。このドラマの中で主人公のチャングム(長今)は医女になっていた。果たして、朝鮮王朝時代の医女の制度は、どのように誕生したのだろうか。 チャングムの存在感 『宮廷女官 チャングムの誓い…
1762年に米びつの中で餓死した思悼世子(サドセジャ)には10歳の息子がいて、英祖が1776年に亡くなったときに王位を継いでいます。それが22代王の正祖(チョンジョ)です。ドラマ『イ・サン』の主人公になっている王です。 「思悼世子の子なり」 正祖は24歳で王になったのですが、即位後の第一声が「朝鮮王…