王宮の中心に住んでいたのは、もちろん王族です。この人たちが王宮の主役でした。政治と行政を担当する高官たちは王宮の外に自分の屋敷を構えて王宮まで通ってきていましたし、実務を担当する下級の官吏たちも通常は王宮の外に住居をもっていました。 住人が150年で半減 王族以外で王宮に住みついていたのは、まずは王…
1720年6月8日に19代王の粛宗(スクチョン)が亡くなった。このとき、粛宗と張禧嬪(チャン・ヒビン)との間に1688年に生まれた王子が世子(セジャ/国王の正式な後継者)になっていた。彼が、20代王・景宗(キョンジョン)として即位した。 頼もしい兄 景宗が即位した当時、2大派閥が党争を繰り返していた…
『逆賊-民の英雄ホン・ギルドン』の主人公になっているホン・ギルドン。もともとは、許筠が書いた小説『ホン・ギルドン(洪吉童)伝』であまりに有名なキャラクターだ。この小説の中で、ホン・ギルドンはどんな人物として描かれているのか。 ホン・ギルドンの境遇 17世紀にハングルで書かれた名作が『ホ…
世子(セジャ)といえば、国王の正式な後継者です。それなのに、命を奪われてしまった3人の世子がいます。果たして、志なかばにしてこの世を去った3人とは、誰なのでしょうか。 あまりに悲しき運命 3人の世子とは、李芳碵(イ・バンソク)と昭顕(ソヒョン)世子と思悼(サド)世子です。順に見ていきま…
それは1800年6月のことだった。正祖(チョンジョ)は急な発熱で体調を崩した。からだに大きな腫れ物もできた。その痛みに苦しみながら、彼は薬を調合する現場を自ら視察している。毒殺されることを極度に警戒していたからだ。 徐々に衰弱していく正祖 正祖が苦痛を明らかにしたのは1800年6月だっ…
国王の結婚式は王宮の正殿で行なわれた 朝鮮王朝では、王室の結婚式のことを「国婚(クッコン)」と呼んでいました。この「国婚」には、王妃を迎える儀式、世子(セジャ/王の後継者)の妻を迎える儀式、王子が妻を迎える儀式、王の娘が嫁に行く儀式の4種類がありましたが、もちろん、王妃を迎える儀式が最…
景福宮(キョンボックン)は朝鮮王朝の建国当初から正宮だった。それほど重要な場所であったのに、1592年の豊臣軍の攻撃時に焼失してから、再建されずにずっと放置されたままだった。 景福宮(キョンボックン)の正殿の勤政殿(クンジョンジョン) 273年間の「ほったらかし」 1592年に焼失した景福宮がようや…
朝鮮王朝後期の名君として名声を博した正祖(チョンジョ)。時代劇『イ・サン』の主人公としてもよく知られている。彼は優秀な国王であっただけでなく、漢方薬についても医者ほどに詳しかった。 医官に薬の指示を出す正祖 1800年6月、48歳の正祖は高熱を発した。 からだに大きな腫れ物もできていた。 一旦は病床…
王の食膳に並べられた豪華料理の数々。「食べきれないのに、なぜあんなに多くの品数を出すのだろうか」と疑問に思っていたが、あれは食べるための料理ではなかったのである。それでは何のため? 答えは「見るため」だった。 小食だった正祖 実は、王の食膳は市場に出ている食材のすべてを使うように工夫されていた。いわ…
王は朝鮮王朝において絶大な権力を持つ。しかし、歴代の王にとって悩みの種だったのが、地方の役人たちの不正だった。悪徳役人が監視の目を盗んで私利私欲のために庶民の生活を圧迫することがよくあった。そうした悪徳役人を摘発するために作られた警察官の役職が暗行御史(アメンオサ)だった。 「暗行御史、出頭!」 暗…