仁祖(インジョ)はクーデターを起こして光海君(クァンヘグン)を追放したが、ときの王を廃位する大義名分に欠けていた。それをもたらしてくれたのが仁穆(インモク)王后だった。その仁穆王后の娘が貞明(チョンミョン)公主だ。 陰湿だった仁祖 王になった当初は、仁祖も貞明公主を優遇した。 広い土地…
1506年、燕山君(ヨンサングン)はクーデターで王宮を追われた。代わって即位したのが、燕山君の異母弟であった中宗(チュンジョン)だった。彼の妻の端敬(タンギョン)王后は堂々たる「国母(クンモ)」になったのだ。 復位を望む声 クーデターを成功させた高官たちは、端敬王后の廃妃を主張した。な…
朝鮮王朝には27人の国王がいたが、4代王・世宗(セジョン)や22代王・正祖(チョンジョ)のように尊敬される名君もいれば、その逆で、業績を残せなかった国王もいた。その中から5人の国王を選んでみた。 政治を仕切る機会を持てなかった3人 ◆文宗(ムンジョン) 〔1414~1452年〕 5代王…
仁粋(インス)大妃は、もともと、7代王・世祖(セジョ)の長男・懿敬(ウィギョン)の正妻である。懿敬は世子(セジャ/王の後継者)だったので、仁粋大妃も本来なら王妃になるはずだったのだが、懿敬が19歳で夭逝したために、それは叶わなかった。 垂簾聴政の指南役 王妃になれなかった仁粋大妃。しか…
1735年に生まれた思悼世子(サドセジャ)は神童と呼ばれた。喜んだ父の英祖(ヨンジョ)は、思悼世子が10歳のときから政治の表舞台にデビューさせた。これがいけなかった。当時の主流派閥は老論派(ノロンパ)だったが、思悼世子は老論派を批判してしまったのだ。 老論派のたくらみ 英祖は思悼世子が…
ドラマ『イ・サン』は、冒頭で父親の思悼(サド)世子が米びつに閉じ込められて餓死する場面が描かれていた。これは、「時代劇の巨匠」と言われるイ・ビョンフン監督の典型的な手法だ。歴史的な重大事件を最初に描いて主人公の人生が大いに左右されるという導入部は、イ・ビョンフン監督が一番好きなスタートなのである。 …
518年間も続いた朝鮮王朝には、27人の国王がいた。今も残る名前は「諡(おくりな)」である。つまり、死後に贈られた尊称であり、本人が生きているときは知らなかった名前だ。それでは、その諡はどのように付けられたのだろうか。 国王の名は3つに分類される 1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)は…
最悪の暴君として知られる10代王・燕山君(ヨンサングン)。彼は、父親の9代王・成宗(ソンジョン)の後を継いで王となったのだが、なぜ暴君と呼ばれるようになってしまったのだろうか。 執念深い燕山君 燕山君は、父親の成宗と母親の斉献(チェホン)王后の間に1476年に生まれた。しかし、彼が幼かったときに斉献…
写真=韓国MBC『華政』公式サイトより 光海君(クァンヘグン)と言えば、朝鮮王朝の15代王となった人物で、10代王・燕山君(ヨンサングン)と共に暴君と言われていた。その一方で光海君を名君として見る動きもある。いったいどういうことなのだろうか。 王となった光海君 光海君は、14代王・宣祖(ソンジョ)と…
韓国時代劇には朝鮮王朝時代の悪人がよく出てくる。そうした悪人の中で、史実でも評判が悪い10人を選んでみた。この人たちのせいで、朝鮮王朝の歴史には数多くの汚点が残ってしまった。 最初の3人 世祖(セジョ/1417~1468年) 7代王で在位は1455~1468年。首陽大君(スヤンデグン)という名でも知…