米びつに閉じ込められて餓死した父(思悼世子〔サドセジャ〕)を心から追慕した正祖(チョンジョ)は、水原(スウォン)に父の立派な墓をつくって城郭都市を築き、そこに都を移すことさえ考えていました。このように、大変な親孝行だったのです。 イ・サンの息子 イ・サンこと正祖は人格者としても尊敬されましたが、ただ…
1775年11月30日、英祖(ヨンジョ)は重臣たちと世孫(セソン/王の後継者となる孫のことで後の正祖〔チョンジョ〕)を集めて「重臣たちを信じることができない。余はすべてのことを世孫にまかせたい」と宣言しました。 世孫を立派に育てた 英祖に対して、洪麟漢(ホン・イナン)が強硬に反対します。彼は左議政(…
端宗(タンジョン)が王位を退くと、朝廷では先王たちの遺志を継いだ忠臣たちによる端宗の復位運動が活発になっていった。その動きの中心に立ったのが、成三問(ソン・サムムン)である。彼は端宗から王位を奪った世祖(セジョ)を認めなかった。 世祖を狙う計画 成三問は、王命に関する事務をまとめる役所に勤めていた。…
王族の首陽大君(スヤンデグン)は、いよいよ自分が行動を起こす時期に来ていることを悟った。側近たちとの密談を繰り返した首陽大君は、1453年10月10日、ついに多くの同志を自邸に招いて決起集会を開いた。 政変を起こした男 首陽大君は言った。 「私はお前たちを戦いに強要したりしない。従わない者はいますぐ…
ドラマ『イ・サン』は、激しい党争の中で常に生命の危機を抱えていた主人公のサンが、少しずつ名君に育っていく過程を描いていました。まさに、現代にも通じる人材育成ドラマでもありました。 英祖の信念 『イ・サン』で重要な役割を演じていたのが、イ・スンジェが演じていた21代王・英祖(ヨンジョ)です。史実での英…
『オクニョ 運命の女(ひと)』を楽しく見るためには、背景となっている時代の歴史について知っておいたほうがいい。そこで、『オクニョ』が描く時代について解説しよう。 明宗の統治時代 『オクニョ』は、主に朝鮮王朝の1550年代を描いている。この時代の特徴は、どんなところにあったのだろうか。 …
4代王・世宗(セジョン)の二男が首陽大君(スヤンデグン)だった。儒学はもちろん、天文や兵学にも精通し、風水に関しても専門家以上の知識を持っていた。音楽理論と楽器演奏にも長けていた。まさに当代随一の学問と強要を兼ね備えていたと言える。 首陽大君の野心 首陽大君の資質を高く評価した父の世宗…
21代王の英祖(ヨンジョ)の正妻は貞聖(チョンソン)王后だ。彼女は子供を産むことができなかったが、側室から王子が生まれていた。長男は9歳で病死してしまったが、二男が1735年に生まれて神童と称されるほどの才能を見せた。その二男が思悼世子(サドセジャ)である。 老論派の画策 頭脳明晰だっ…
写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 早世したために歴史上でもあまり知られていなかった孝明(ヒョミョン)世子。しかし、『雲が描いた月明り』が大ヒットし、その主人公として現代韓国でも有名になった。果たして、どんな人物だったのだろうか。 10歳で嫁を迎えた 名君…
朝鮮王朝の正式な記録である「朝鮮王朝実録」に入っている「端宗実録」は、代表的な汚点と言える。元は、端宗(タンジョン)が身分を落とされたときの「魯山君(ノサングン)」という名が入った「魯山君日記」として編纂されたが、編纂の経緯どころか、その日時や編纂者の名すら記されていない。 一方的な証…