悩んでいたソウルは天然の要塞を活用することとした。山の谷を削り、高さ15m、直径最大38mの巨大な円筒型のタンクが5つ建設された。そして、当時のソウル市民が1か月の間は使える量の石油を備蓄しはじめた。北からは山に絶妙に隠れたこの石油備蓄基地は、一般市民に対してはその存在すら知られないまま、韓国の産業化とソウルの都市化を陰で支えていた。
それから25年が過ぎた2002年、この施設も終わりを迎える。郊外だったこの地域に、日韓共催のワールドカップの競技場が建てられたからだ。6万人以上の人が集まるサッカーの競技場に隣接したこの施設は、大都市になったソウルではもういられなくなった。安全と安心を求める意見で、早速の閉鎖が決められたのだ。
その後、この施設はまたもソウル市民に忘れられ、寂しくソウルの成長を見守っているだけだった。
また10年が過ぎた。2013年、ソウル市は市民を対象にアイディアを公募する。この場所をこれからどのように活用するのか?「ダイナミック・コリア」のスローガンとおりの韓国。やはり答えは意外なものだった。「石油」の代わりに「文化」を備蓄しよう、とのことだった。
5つの巨大なタンクは解体され、その分厚に鉄板は新しい施設の外壁にリサイクルされる。公演場や展示室、カフェや会議室、講義室やコミュニティーセンターが作られた。過去を記憶するため、石油タンクの形をそのまま保つこの「文化備蓄基地」はこうして2017年、市民に開放される。
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