1945年、日本の統治が終わった朝鮮半島。韓国の人々は20年に渡り、理念の衝突と戦争、独裁とクーデータの時代を経験する。そして、1965年の日韓国交正常化。「韓国の産業革命」とも言われるべき時代が始まる。
それから5年、1970年のソウル駅。巨大な鉄筋コンクリートの構造物がソウル駅の前に建てられる。産業化は都市化を刺激し、古都ソウルは人口の増加や車両の急増を経験する。韓国交通の心臓部であるソウル駅の前に高架道路が建設されたのだ。
この構造物は「産業化・都市化の象徴」となった。しかし、これはソウルの人々に対して鉄やセメントの塊より遥かに大きな意味を持つ。全国の津々浦々から仕事を探し、都市の夢を求めて列車に身を任せ上京してきた若者の群れが、ソウル駅の改札口から流れてくる。若者たちが生まれて初めて吸い込む「大都市の匂い」は、この高架道路からプンプン匂ってくるかのようなものだった。2次元に近い世界が広まる故郷とは全然違う風景。ソウルという3次元の空間を支えるビルと立体道路。ソウル駅前の高架道路はまさにその若者たちの「夢の象徴」だった。
それから45年。時代は更に変わった。ソウルは東京に匹敵するメガロポリスと化けてきた。産業化と都市化は民主化の時代、情報化の時代を貫く。ソウルは世界の開発途上の都市に対してテストベッドとなる。そして、近年のソウルは文化の都市になりつつある。「東方神起」、「少女時代」、「防弾少年団」がソウルで生まれたのは偶然ではない。「TWICE」や「IZ*ONE」など、アジアの最先端の大衆文化を牽引するアーティストたちがソウルに集結したのも偶然ではない。
一方、ソウルには悩みも出来た。若者の「夢の象徴」だった構造物が寿命を迎えてきたのだ。ソウル駅前の高架道路も古くなり、安全面の問題となってきた。撤去の準備が進んだ。しかし、この夢の象徴を無くすことに対する反対も多い。撤去の費用も少なくない。何より、撤去工事の期間中に起きるしかない大渋滞への心配は「撤去の他、やり方は本当にないのか?」の疑問にたどり着く。
東京を含め、世界の大都市の事例を探し始めた。その中、地球反対側のメガロポリスにそのヒントがあった。米国ニューヨークのハイラインパークだ。放置された高架鉄路が生まれ変わり、ニューヨーカーたちの文化公園となったとのことである。
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