近年になって歴史の研究が進むと、光海君(クァンヘグン)は暴君ではなくて、むしろ名君であったという声が起こってきます。イ・ビョンホンが主演した「王になった男」はそういう論調で作られた映画で、光海君の優れた行政能力が描かれていました。 小国の生き残り策 光海君が1608年に即位したときは、豊臣軍による朝…
光海君(クァンヘグン)を支持する政治的な派閥が大北(テブク)派です。大北派は光海君が王であり続けるかぎり大出世を果たせるので、自分たちの地位を守るために暗躍します。その中心で動いていたのが金介屎(キム・ゲシ)という女官です。 非道な行ない 1609年、大北派は光海君への批判を繰り返していた臨海君(イ…
高麗神社の鳥居 若光にゆかりがある場所は聖天院だけではない。むしろ、そこから500mほど北にある高麗神社こそが、若光の遺徳を今に伝えているといえる。なにしろ、若光を祀る神社であり、宮司は若光の子孫が代々務めているのだ。1300年近くの長きに渡り、祖先の血筋をじかに受け継いでいる子孫たち…
日本は、7世紀や8世紀に中国大陸の唐や朝鮮半島の新羅に使節を派遣して政治制度や生活様式を学んだ。しかし、国内で政治体制を確立してからは隣国との接触に積極的ではなくなった。以後、日本は大陸にあまり目を向けなくなった。その間に朝鮮半島の情勢はどのようになっていたのか。 元寇の際に作られた防塁が今も博多湾…
西武池袋線は、池袋から西武秩父まで通っている鉄道だが、中間に位置する飯能駅の2つ先に「高麗(こま)」という駅がある。駅名からしていかにも高句麗にゆかりがありそうな土地である。 高麗王廟は若光を祀っていると伝わっている 東国に移る渡来人 西武池袋線の「高麗」駅の改札口を出ると、正面に2つの塔が見える。…
大磯の高来神社 新羅と唐の連合軍は、660年に百済を滅ぼしたあと、次に高句麗の攻撃を狙った。危機を感じた高句麗は、666年に援軍要請のための使節を日本に派遣した。その中に若光(じゃっこう)がいた。彼は高句麗の王族の1人だった。 東国の開発 日本の朝廷は高句麗の援軍要請に応じなかった。663年に白村江…
東京の浅草寺の本尊は観世音菩薩だが、隅田川から引き上げられたという縁起(由来)がある。その由来には、いったいどんな要点があるのだろうか。 川の中から出てきた仏像 その昔、隅田川で檜前(ひのくま)浜成(はまなり)、竹成(たけなり)の兄弟が漁をして生活していた。 628年3月18日、この日はいくら漁に精…
飛鳥寺に今も残る大仏が日本で最古の仏像の1つとされているが、他にも「最古では?」と目される仏像がある。それが善光寺の本尊の「一光三尊阿弥陀如来像」。ただし、絶対秘仏で見ることはできない。 「お戒壇めぐり」 善光寺を訪ねてみる。 現在の善光寺の本堂は1707年に建てられている。間口24メートル、高さ3…
『雲が描いた月明り』には、茶山(タサン)先生という人物が出てくる。何かとイ・ヨンを助ける頼もしい人なのだが、この人は史実では丁若鏞(チョン・ヤギョン)という大学者であった。 写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 華城の建設に貢献 『雲が描いた月明り』で、茶山…
写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより パク・ボゴムとキム・ユジョンが主人公を演じた『雲が描いた月明り』は、新しい感覚の時代劇として韓国で大ヒットした。このドラマは、実際の歴史とはどう違うのだろうか。具体的に解説してみよう。 イ・ヨンの生母 朝鮮王朝の王族でイ・ヨンと言えば、それはまさし…