「朝鮮王朝実録」の1689年5月6日の記述です。粛宗(スクチョン)は重臣を集めて、1日も早く王妃を決めなければならないと語った後、「張禧嬪(チャン・ヒビン)をただちに王妃に冊封(王族の重要な地位に任命すること)したい」と力説します。 二大派閥の対決 粛宗の言葉を聞いて重臣たちは困惑し、「いつ頃、新し…
ドラマ『トンイ』では、主人公のトンイと張禧嬪(チャン・ヒビン)が激しく戦いました。史実では、2人はどのようにライバルとなっていったのでしょうか。朝鮮王朝の正式な歴史書である「朝鮮王朝実録」を通して、トンイと張禧嬪の関係を見ていきます。 粛宗の怒り 「朝鮮王朝実録」の1688年10月27日の記述です。…
画像=SBS NHKのBSプレミアムで日曜日に放送されている『コッソンビ 二花院(イファウォン)の秘密』。後半になって登場人物たちが激しく絡み始めた。イ・ソルをめぐって本当にスリリングな展開になってきたのだ。 偽者も登場した ヒロインのユン・ダノ(シン・イェウン)は宿の二花院を運営している。そこに泊…
貞明(チョンミョン)公主は、クーデターの直後には結婚できたが、20歳だったので、当時としては遅い結婚だった。当時のしきたりでは、王女は結婚したらすぐ外に出ることになっているので、外に大きな屋敷を構えた。 無能な王 異例だったのは、全羅道(チョルラド)や慶尚道(キョンサンド)に莫大な土地を持ったことだ…
綾陽君(ヌンヤングン/後の仁祖)は仁穆王后の怒りがあまりに大きいので、その場を退散して、また改めて出掛けた。仁穆王后も少し頭を冷やしたようで、「大義名分を出すには条件がある。あの化け物の首を取ってまいれ」と言った。 写真=韓国MBC『華政』公式サイトより 「首を取ってまいれ」 綾陽君は仁穆王后にこう…
写真=韓国MBC『華政』公式サイトより 光海君は「明は滅亡して後金の時代になる」と予測していた。「明に肩入れするとうちの国もやられてしまう」ということで、やむを得ず援軍を出すときは最小限にして、後金に対して「事情があって明に援軍を出していますが、そちらに逆らう気はないですから」と言った。二股外交とい…
朝鮮王朝19代王の粛宗(スクチョン)の側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)は1688年に王子を産んだ。粛宗にとって待望の嫡男だった。その翌年、粛宗は高官たちを前に驚愕するようなことを言いだした。 妬みが強すぎると王妃を非難 驚愕するようなこととは、粛宗が正室の仁顕(イニョン)王后を廃妃にしようとしたの…
1506年にクーデターで暴君の燕山君(ヨンサングン)を王宮から追放した高官たちは、燕山君の異母弟を次の王位に指名した。それが11代王の中宗(チュンジョン)だった。そんな経緯があったので、中宗はクーデターを成功させた高官たちに頭が上がらない王であった。 理想主義に燃えた儒学者 中宗の悩みは深かった。 …
世宗(セジョン)が1397年に生まれたとき、父親の太宗(テジョン)は波乱の中にいた。彼は世子(セジャ)の指名からはずれてしまったが、異母弟の芳碩(パンソク)を排除して自分が正当な王位継承者であることを力で見せつけようとした。 三男の能力を評価した父 1398年に太宗は「王子の乱」を起こして芳碩を殺害…
奇皇后は、中国大陸を支配する元の皇帝に寵愛されて、我が子を皇太子にまでした。その権力は絶大で、高麗王朝でも奇皇后の一族が政治を牛耳るようになった。しかし、時代は激しく動いていた。 写真=韓国MBC『奇皇后』公式サイトより 奇一族に対する不満が噴出 高麗王朝で悪政を行なった奇一族は、他人の土地を強奪し…