中宗は韓国時代劇によく登場する国王だ。『宮廷女官 チャングムの誓い』でも堂々たる人物として描かれていたが、史実の中宗は嫌々ながら即位した国王だった。決して堂々としてはいなかったのだ。 優柔不断な態度 1506年9月1日、暴政を繰り返した燕山君(ヨンサングン)を追放するためのクーデターが…
1688年10月27日、一介の女官から粛宗(スクチョン)の側室になっていた張禧嬪(チャン・ヒビン)が王子を出産した。それが、後の20代王・景宗(キョンジョン)である。粛宗にとっては、27歳になって初めての息子だった。彼の喜びも尋常ではなかった。 反対する重臣たち 粛宗は生まれたばかりの…
仁粋(インス)大妃は、もともと、7代王・世祖(セジョ)の長男・懿敬(ウィギョン)の正妻である。懿敬は世子(セジャ/王の後継者)だったので、仁粋大妃も本来なら王妃になるはずだったのだが、懿敬が19歳で夭逝したために、それは叶わなかった。 垂簾聴政の指南役 王妃になれなかった仁粋大妃。しか…
済州島(チェジュド)の貧しい家に生まれた金万徳(キム・マンドク)は、優しい両親と弟に囲まれ、幸せに暮らしていた。しかし、12歳の時に両親は他界。残された姉弟は、別々の家で小間使いとして暮らすことになった。金万徳はどのような人生を歩んだのでしょうか。 金万徳が興した事業 15歳になった金万徳は美しい娘…
悪女にならざるをえない事情 朝鮮王朝時代では、社会の隅々まで浸透した儒教の影響で、男尊女卑の風潮がとても強かった。 女性は親の遺産の相続権がなかったし、結婚生活では夫から理不尽に離縁を強制されても受けざるをえなかった。さらには、再婚の自由も奪われていた。 それだけではない。 女性は科挙の試験を受けら…
『不滅の恋人』には2人の王子が登場して激しく対立する。その王子の中で、イ・ガンは歴史的に首陽大君(スヤンデグン)のことであり、イ・フィは安平大君(アンピョンデグン)のことだ。史実で2人はどんな立場だったのだろうか。 武闘派と芸術派 朝鮮王朝最高の名君と称された4代王・世宗(セジョン)。その二男が首陽…
朝鮮王朝最高の名君と称された4代王・世宗(セジョン)の長男が世子(セジャ)となり、二男の首陽(スヤン)大君には王になる望みがなかった。しかし、野心家の彼はあきらめなかった。その末に、起こったのが王位強奪事件であった。 甥を脅かした叔父 世子は1450年に即位して5代王の文宗(ムンジョン)になったが、…
ドラマ「トンイ」のモデルとして有名な淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏は、19代王・粛宗(スクチョン)の側室で、21代王・英祖(ヨンジョ)を産んだ生母である。しかし、淑嬪・崔氏について書かれた資料は少なく、確実なのは、出生が貧しいということだけだ。彼女は、いったいどのような女性だったのでしょうか。 側室…
朝鮮王朝の歴史は、初代王・太祖(テジョ)から16代王・仁祖(インジョ)までを前期、それ以降を後期と分けるのが基本である。そして、前期と後期では王が抱える側室の数がまるで違った。 後期に側室が減った事情 朝鮮王朝の前期は、王族の男子が多いほうが後継者が不足しなくていい、という考え方のもとで、王はやたら…
『七日の王妃』では燕山君(ヨンサングン)と晋城大君(チンソンデグン/後の中宗〔チュンジョン〕)が異母兄弟として対立する。その間で苦悩するのが端敬(タンギョン)王后だ。この3人の関係は? 12歳離れた異母兄弟 10代王の燕山君は、9代王・成宗(ソンジョン)と正室だった尹(ユン)氏との間に1476年に生…