「時代劇の巨匠」と称されるイ・ビョンフン監督が演出した『イ・サン』。このドラマではイ・ソジンがとても素晴らしい演技を披露したが、その相手役になったのがハン・ジミンだった。彼女が演じたソンヨンの実在のモデルとは? 4人の側室 イ・サンこと正祖(チョンジョ)の正室は孝懿(ヒョイ)王后である…
イ・ビョンフン監督の傑作時代劇『トンイ』で、ハン・ヒョジュが演じたトンイは、明るくて純粋な女性として描かれていた。反対に張禧嬪(チャン・ヒビン)は、典型的な悪女になっていた。しかし、それは史実の通りなのだろうか。 40日後の告発 ドラマ『トンイ』の主役だったトンイは淑嬪(スクピン)・崔…
韓国時代劇には朝鮮王朝時代の悪人がよく出てくる。そうした悪人の中で、史実でも評判が悪い10人を選んでみた。この人たちのせいで、朝鮮王朝の歴史には数多くの汚点が残ってしまった。 最初の3人 世祖(セジョ/1417~1468年) 7代王で在位は1455~1468年。首陽大君(スヤンデグン)…
1701年8月に仁顕(イニョン)王后が亡くなります。彼女は1694年に王妃に復位しましたが、7年で世を去りました。最後の1年半はずっと病床にいて起きられない状態が続きました。仁顕王后が亡くなった直後に、「張禧嬪が呪い殺すための儀式をしていた」と淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏が自ら粛宗(スクチョン)に…
傑作時代劇『イ・サン』の主人公になった22代王の正祖(チョンジョ)は、1752年に生まれた。父は思悼世子(サドセジャ)で母は恵慶宮(ヘギョングン)であった。史実の正祖はどんな人生を歩んだのだろうか。 朝鮮王朝後期の名君 ◆1762年、父の思悼世子は祖父の英祖(ヨンジョ)によって米びつに…
トンイは歴史上では淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏と言われている。彼女は1670年に生まれ、後に粛宗(スクチョン)の側室になった。史実の淑嬪・崔氏はドラマとは違う顔を持っていたようだ。 トンイの人生は? 粛宗の統治時代、官僚の派閥では西人派と南人派が激しく争っていた。 そして、西人派が意図的に王宮に送…
1623年、16代王・仁祖(インジョ)は、15代王・光海君(クァンヘグン)からクーデターで王位を奪った。有能な王の登場を予感させた仁祖だが、即位してからは失態が目立つようになった。1624年、クーデターの功臣・李适(イ・グァル)を冷遇したことにより、反乱が起こった。 屈辱を受けた国王 辺境の守備隊長…
甥の端宗(タンジョン)から王位を強奪しようとした首陽大君(スヤンデグン)は、1453年に端宗の後見人だった金宗瑞(キム・ジョンソ)を襲撃して彼を排除した。それが、朝鮮半島の全土を震えあがらせた癸酉靖難(ケユジョンナン)の始まりだった。 偽りの王命 首陽大君の側近たちは都のすべての城門を占領したうえで…
1735年に生まれたイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)。彼は世子(セジャ)として甘やかされて育ったのだが、10歳のときに早くも政治の表舞台に出て老論派の政治手法を厳しく批判した。老論派といえば当時の主流派閥。イ・ソンは大きな敵を作ってしまった。 イ・ソンの素行 21代王の英祖(ヨンジョ)の王命によっ…
最悪の暴君として知られる10代王・燕山君(ヨンサングン)。彼は、父親の9代王・成宗(ソンジョン)の後を継いで王となったのだが、なぜ暴君と呼ばれるようになってしまったのだろうか。 執念深い燕山君 燕山君は、父親の成宗と母親の斉献(チェホン)王后の間に1476年に生まれた。しかし、彼が幼かったときに斉献…