『オクニョ 運命の女(ひと)』は1550年代の話が中心になっていた。このときは、果たしてどんな時代だったのか。それを知ると、物語の背景も見えてきて、内容を理解しやすくなる。 女帝が君臨した時代 『宮廷女官 チャングムの誓い』の主人公になっていたチャングムが「朝鮮王朝実録」に最後に出てく…
張禧嬪は仁顕(イニョン)王后を呪詛した疑いをかけられて死罪になりました。不可解なのは淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏です。彼女のことを、ドラマ『トンイ』で描かれたような明るいイメージの女性だと想像すると、ちょっと違います。 果たして動機は? 1694年には淑嬪・崔氏を毒殺しようとした事件から政変が起こ…
朝鮮王朝時代は一夫一婦制であり、国王もその制度をしっかり守っていた。つまり、在位中には正室が1人しかいなかった。その正室の中で、廃妃(ペビ)になった女性が何人もいる。特に、朝鮮王朝の歴史の中で一番最初に廃妃になったのが尹(ユン)氏だった。 廃妃の理由 9代王・成宗(ソンジョン)は、最初の正室を病気で…
現在の韓国でも高い評価を得ている女流詩人の許蘭雪軒(ホナンソルホン/1563年~1589年)。彼女の人生は、あまりに儚(はかな)いものだった。しかし、彼女が残した珠玉の作品は、永遠に生き続ける。 メキメキと才能が開花 許蘭雪軒は、評判の高かった役人の長女として生まれている。 許蘭雪軒の2人の兄は高官…
朝鮮王朝には27人の国王がいたが、4代王・世宗(セジョン)や22代王・正祖(チョンジョ)のように尊敬される名君もいれば、その逆で、業績を残せなかった国王もいた。その中から5人の国王を選んでみた。 政治を仕切る機会を持てなかった3人 ◆文宗(ムンジョン) 〔1414~1452年〕 5代王。在位は145…
本来であれば王妃にさえなれなかった女性が、最終的に大妃(テビ/国王の母)になって、朝鮮王朝を大混乱に陥れた。それが文定(ムンジョン)王后である。彼女はなぜ、絶対的に強い立場になれたのだろうか? クーデターのおかげで王になった中宗 文定王后は、11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室であった。 中…
写真=植村誠 朝鮮王朝最高の名君と称される4代王の世宗(セジョン)。その長男が文宗(ムンジョン)である。彼は1人の美しい女性をこよなく愛した。それが、後の顕徳(ヒョンドク)王后であった。 恨み骨髄まで 文宗と顕徳王后の間に最初に生まれた子供が敬恵(キョンヘ)公主(コンジュ)だ。 彼女は…
写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 朝鮮王朝で国王の正式な後継者のことを世子(セジャ)と言うが、国王の座を約束されていながら即位できなかった5人を取り上げてみよう。それは、李芳碵(イ・バンソク)、懿敬(ウィギョン)世子、昭顕(ソヒョン)世子、思悼(サド)世子、孝明(ヒョミョン)世子で…
光海君は1608年に15代王として即位したが、翌年に兄の臨海君(イメグン)を不穏分子として配流の末に殺し、1614年には異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)の命も奪った。さらに、永昌大君の母の仁穆(インモク)王后も大妃の身分を剥奪されて長く幽閉生活を送らざるをえなくなった。 大義名分が必要 光海君は…
光海君(クァンヘグン)は1623年にクーデターで廃位となりましたので、暴君というイメージが付いてまわりました。しかし、歴史研究が進む中で、暴君どころか逆に政治的な業績が多い王であったという評価が出ています。 巧みな戦術 光海君は外交が卓越していました。 彼は1608年に即位しますが、統…