中宗(チュンジョン)は時代劇で立派だが実際はダメな王だった

中宗は韓国時代劇によく登場する国王だ。『宮廷女官 チャングムの誓い』でも堂々たる人物として描かれていたが、史実の中宗は嫌々ながら即位した国王だった。決して堂々としてはいなかったのだ。

 

優柔不断な態度
1506年9月1日、暴政を繰り返した燕山君(ヨンサングン)を追放するためのクーデターが起こった。実行部隊が最初に向かったのは、燕山君の異母弟にあたる中宗(チュンジョン/即位までは晋城大君〔チンソンデグン〕と呼ばれた)の屋敷だった。
クーデター軍が中宗の屋敷に行ったのは、新しい王になってもらうためである。しかし、事情を知らなかった中宗は、兵士が押しかけてきて仰天した。
「命が危ない」
中宗は覚悟した。彼は、自分を殺すために燕山君が送り込んできた兵士たちだと錯覚してしまった。

 

「もはや、これまでか」
中宗は自決しようとした。しかし、必死に止めたのが夫人の慎(シン)氏だった。彼女は、兵士たちの様子から燕山君の配下の者でないと悟っていた。
夫人に命を救われた中宗は、挙兵の目的を知って安堵した。しかし、自分が王になることには拒否反応を示した。臆病な彼は、異母兄に取って代わることが怖かったのだ。中宗はそんな性格だった。

一方、クーデター派の主力部隊は王宮に侵入して燕山君をつかまえた。人望がなかった彼は、護衛兵に見捨てられていたのだ。
こうしてクーデターは成功し、燕山君は島流しとなって2カ月後に世を去った。
相変わらず中宗は即位を拒否していたが、クーデターを成功させた重臣たちが粘り強く説得し、ようやく即位を決意した。とはいえ、優柔不断な態度は本来なら国王にふさわしいとは思えなかった。
それでも、11代王となった中宗は、王宮で即位式に臨んだ。しかし、あまりに急だったので、正式な冠服を着られなかった。
それほど、ドタバタの中での即位だった。
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2019.12.24