『雲が描いた月明り』は時代劇として画期的な作品だった。史実とファンタジーが見事に融合していたからだ。しかも、朝鮮王朝を揺るがした出来事が物語の中に巧みに組み込まれていた。特筆すべきは、イ・ヨンこと孝明世子(ヒョミョンセジャ)をパク・ボゴムが演じたことだった。 魅惑的なキャラクター 韓流…
兄弟による後継者争い 光海君(クァンヘグン)は14代王・宣祖(ソンジョ)の二男として1575年に生まれた。 1592年、朝鮮王朝が豊臣軍の攻撃を受けたときに、光海君は若くして武勲をあげている。兄の臨海君(イメグン)が捕虜になって屈辱にまみれたのとは対照的だ。 朝鮮王朝では長男が王位を継承するのが原則…
朝鮮王朝の27人の王の中で、在位期間が一番短かったのは12代王・仁宗(インジョン)の8カ月。逆に、一番長かったのは52年間も王位に就いていた21代王・英祖(ヨンジョ)である。80歳を過ぎても王の座に就いていたのは彼しかいない。 悲惨な出来事 英祖といえば、1762年の大事件が有名である。 それは、次…
1776年、24歳で正祖(チョンジョ/ドラマ「イ・サン」の主人公)は王になった。即位後の第一声は「嗚呼!寡人は思悼世子の子なり」という言葉だった。この「寡人(クァイン)」というのは、王が自分のことをいうときの表現だ。 王となった正祖 正祖の父親である思悼世子(サドセジャ)は、一部の政治…
ドラマ『ヘチ』で、チョン・イルが扮したのが朝鮮王朝の21代王・英祖(ヨンジョ)である。彼の母である淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ/ドラマ『トンイ』の主人公として有名)は1718年に亡くなり、父の粛宗(スクチョン)も1720年に世を去った。 出自の問題 1720年、張禧嬪(チャン・ヒビン)が産んだ王子が…
1701年、19代王・粛宗(スクチョン)の側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)は、亡くなった仁顕(イニョン)王后に対して呪詛(じゅそ/呪い殺す儀式のこと)をした罪で死罪となった。そのときの描き方は、史実とドラマ『トンイ』では、どのように違うのだろうか。 奇怪な行動 まず、史実から見てみよ…
悪女と言えば、韓国時代劇の登場人物としてよく描かれるキャラクターである。彼女たちは、政治に介入して朝鮮王朝に混乱を招くことが多かった。どうして、そんなことが許されたのだろうか。そもそも、朝鮮王朝の歴史は王を中心とした男性が仕切っているように思われるが、女性も政治に関与していたのだろうか。 裏で政治を…
「朝鮮王朝実録」の記述をもとに1690年代の朝鮮王朝を見てみよう。粛宗の王妃だった仁顕(イニョン)王后は1689年に廃妃になったあとに1694年に再び王妃に復帰した。それによって、王妃に昇格していた張禧嬪(チャン・ヒビン)が側室に降格となっている。 粛宗が贈った褒美とは? 仁顕王后が王妃に復帰したあ…
1720年に19代王の粛宗(スクチョン)が世を去り、張禧嬪(チャン・ヒビン)が産んだ景宗(キョンジョン)が20代王として即位した。トンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)が産んだ英祖(ヨンジョ)はこの時点では王になれなかった。 毒殺説の首謀者 景宗の体調が悪化したのは1724年8月20…
人気時代劇『トンイ』の主人公トンイは、史実では淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)のことである。彼女は国王の側室だった。それほど重要な身分だったのに、毒殺されそうになった事件があった。 宮中が騒然となった! 19代王・粛宗(スクチョン)が即位してから20年が経った1694年3月29日、西人…