李秀賢(イ・スヒョン)さんは、2001年1月26日の夜、新大久保駅で線路に落ちた男性を救おうとして死亡した。前途有望な青年の衝撃的な死は、日本と韓国の間で燃えたぎるような感動の炎を巻き起こした。あの事故から20年が経った。
将来の夢は?
李秀賢さんが亡くなってから1週間後、ある出版社から李秀賢さんの本を出したいという要請があった。私は韓国に行き、彼の母校を訪ね、両親や友人に会い、彼の育ってきた日々を振り返った。
李秀賢さんは1999年に自分のホームページで自己紹介をしている。
「趣味はマウンテンバイク、ギター、スキンダイビング、水泳、バスケットボール、テニスです。あと好きなのは、酒を飲むことや、運動して汗を流すこと、コンピュータ、何でも整理することなどです。僕の宝物は家族、恋人、友人、ギブソンのギター、ノートパソコンです。僕の別名はタフガイ。将来の夢は大統領になることでしたけど、最近はちょっと……」
同じホームページの中で、1998年7月の夏休み旅行のことを書いている。
この旅行はマウンテンバイクに乗って韓国を一周しようとしたもの。友人と一緒に4人で出発している。
「自分の国をまわってみると、外国に負けない魅力的な場所もあるし、苦労してまわるだけの価値があると思う。そのうえで、外国に行けば、韓国人としての自信も芽生えるだろう。とにかく、何ごともぶつかってみなければならないと思う。それでも駄目なときがあるけれど、やってみようという気持ちをもつことが重要じゃないだろうか。最善を尽くせば、結果はそれほど重要ではない。最善と結果の差は、自分に不足している能力だけだ。しかも、自分にどれだけ能力が不足しているかがわかれば、再びチャレンジすればいいだけの話。まだ僕は若いんだから。僕らの象徴は『チャレンジ』だ」
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