キム・ギドク監督がラトビアで新型コロナウイルス感染による合併症でこの世を去った。
ロシア官営のスプートニク通信は、ラトビアのデルフィ・ニュース・ポータルを引用し、キム・ギドク監督がラトビアの病院でこの日の午後1時20分、新型コロナウイルスの合併症で死亡したと伝えた。デルフィニュースによると、キム・ギドク監督はロシアのサンクトペテルブルクとエストニアを経て、先月20日にラトビアに入国した。
キム監督はラトビアの保養地であるユールマラに住宅を購入し、永住権を得ようとしたが、約束された日に姿を現さず、知人らが彼を探しに出たとデルフィは伝えた。
ラトビアの有名映画監督ヴィタリー・マンスキー氏は心配して病院を探し回ったが、「厳格な個人情報保護規定によって、彼の所在把握に時間がかかった」、「彼の死亡を確認した」と話した。
キム・ギドク監督の訃報は、キム・ギドクフィルム出身の側近を通じて知らされた。同側近はこの日、「家族の方に確認した結果、外信の消息が正しいとしている」、「(キム・ギドク監督の訃報と関連して)家族たちもこの日、連絡を受けたという」と付け加えた。
チョン・ヤンジュン釜山(プサン)国際映画祭執行委員長も、海外の映画関係者を通じてキム・ギドク監督の死亡の知らせを聞き、この日自身のSNSアカウントに「キルギスの評論家より、カザフスタンからラトビアに移住して活動していたキム・ギドク監督が、自身が還暦を迎える12月20日をわずか1週間後に控え、新型コロナウイルスによって他界したという衝撃的な悲報を聞いた」と明らかにした。
さらに、「バルトの病院に入院して2日後の今日死亡したという」、「韓国映画界にとって埋めることができない大きな損失であり、悲しみだ。故人の冥福を祈ります」と付け加えた。
キム・ギドク監督は今年、誕生60周年を記念して16日から22日(現地時間)までエストニアのタリンで映画上映会を準備していたという。
キム・ギドク監督は世界3大映画祭であるカンヌ、ベネチア、ベルリンで受賞した唯一の韓国人監督だ。
彼は2004年に「第54回ベルリン国際映画祭」にて「サマリア」で銀熊賞を、同年の「ベネチア国際映画祭」では「うつせみ」で銀獅子賞を受賞した。2011年の「カンヌ国際映画祭」では「アリラン」で“ある視点部門”に招待され、該当部門で受賞の栄誉に輝いた。また、2012年には「嘆きのピエタ」で「第69回ベネチア国際映画祭」金獅子賞を胸に抱き、巨匠と認められた。
しかし、華やかな業績は2018年に発生した“#MeToo”運動によって危機を迎えた。以後、キム・ギドク監督はカザフスタンとロシアなど海外で活動してきた。
WOW!Korea提供