第2回 告発された世子
思悼世子(サドセジャ)をめぐって朝鮮王朝が大混乱に陥ったのは、1762年5月22日のことだった。世子が住む東宮(トングン)で働く羅景彦(ナ・ギョンオン)という者が、「世子が内侍(ネシ/王宮に仕える宦官)たちと組んで謀反をたくらんでいます」と訴え出てきたのである。
10項目の問題行動
謀反というだけで王朝の一大事なのに、その首謀者が世子の思悼世子だという。政権の中枢にいる高官たちの驚きは尋常ではなかった。
それは、報告を受けた英祖(ヨンジョ)も同様だった。彼はすぐに王宮のすべての門を閉じるように命じ、緊急事態を発令した。
政権の重臣たちが集まり王に謁見した。彼らの前に、告発者の羅景彦が引っ張りだされてきた。
それは羅景彦も望むところだった。彼はもったいぶりながら、懐から一つの書状を取り出した。そこには思悼世子の問題行動(非行、殺人、浪費など)が10項目にわたって書かれてあった。
それが果たして事実なのかどうか。英祖は信じられない思いだったが、とにかく思悼世子の弁明を聞いてみたいと思った。(2ページに続く)