音楽プロデューサー故シンサドンホレンイさん、記者が明かす「最後の通話」



2年前の秋ごろ、作業室で行った対面インタビューの時は、彼がどれほど音楽に本気な人なのかを如実に感じることができた。 当時、彼は「朝起きてすぐに作業室に出勤し、夕方までずっと作業だけして退勤する」とし、「以前に比べて2、3倍熱心に勉強しながら音楽をしている」と近況を明らかにした。 それと共に彼は「『時代遅れ』という言葉を聞かないために、努力を怠っていない」などと話した。

「もともとインターネットのお気に入りリストにショッピングモールのリンクも多かったのですが、今は音楽関連のページしかありません。 最近は主に世界的に人気のアフロビートジャンルの音楽を研究しています」

特に印象深かったのは、彼が後輩クリエイターに道を開くことにも関心が多かったという点だ。シンサドンホレンイさんは「優れた実力を持つ新人作家たちを発掘するための努力も並行している」とし「機会を受けられない人たちにしばしば僕がこなしきれない作品を連結したりもする方」と話した。

「機会をもらえなくて挫折しない文化と構造が作られれば、韓国の音楽市場がさらに強固になると思います。 新人クリエイターたちにも多くの参加機会と成功機会が開かれてほしいです」


当時、シンサドンホレンイさんは「K-POPが持続的に発展するためには作家たちの処遇が改善されなければならない」とし「アーティストたちほどスタッフたちもスポットライトを浴び権利が保障されてほしい」という願いを表わしもした。 多数のヒット曲を書いた現在進行型「ヒット曲メーカー」であるだけでなく、K-POP業界の発展と後輩たちの成長にも関心が多かった音楽プロデューサーであるため、彼の死がさらに残念に感じられる。

記者がシンサドンホレンイさんと交わした連絡は、通話が最後ではなかった。 彼は死亡2日前、すなわち電話で話した翌日の21日の昼に記者にカカオトークメッセージを送った。「記者さん、よろしくお願いします」という内容だった。

前日、「TRI․BE」がカムバックし電話で関連会話を交わしたので、「TRI․BE」の活動ニュースをちゃんと気にかけてほしいという意味のメッセージと読めた。 記者は「はい、分かりました。『TRI․BE』を応援します」と答え、シンサドンホレンイは「ありがとうございます」と答えた。 そうして彼は最後まで自身が育てたアーティストを気遣った。

故シンサドンホレンイさんは25日、永眠に入る。 謹んで故人の冥福を祈る。 一方、彼が作り出した「TRI․BE」は故人の遺志を受けてカムバックシングル「Diamond」の活動を予定通り行うことにした。 大きな衝撃と悲しみに陥っている「TRI․BE」のメンバーたちが一日も早く心を落ち着かせ、シンサドンホレンイさんと共に最善を尽くして準備した今回の活動をうまく終えることを、今後も揺らぐことなく成長曲線を描いていくことを願う。

 

WOW!Korea提供

2024.02.26