先に触れた三姓人の話はあくまでも神話にすぎないが、耽羅国が実際に良(梁)、高、夫という有力な氏族によって統治されていたことは間違いない。島の政治は三氏鼎立によって成り立っていた。 済州島の風景(写真=済州特別自治道観光協会) 小国の悲哀 当初は良氏が一番優勢だったようだが、次第に高氏が頭角を現してき…
もともと住んでいたモンゴロイド系種族と南方系種族の混血が済州島内で進み、独特な州胡人が形成されていったものと思われる。特に南方系種族は体躯が小さく、それが『三国志』韓伝が言うところの「からだが小柄」ということになったのだろう。 済州島の紅葉(写真=済州特別自治道観光協会) 海のターミナル 済州島と九…
済州島の荒波(写真=済州特別自治道観光協会) 『後漢書』韓伝では、韓人について「からだが長大で、頭髪も長く美しい。衣服は布綿を用い靴を履く」と記されている。要するに、中国の史書によると、韓人と州胡人は言語、体格、衣服に大きな違いがあるということになるのだ。 孤島となった済州島 もともとは、東北アジア…
済州島の菜の花(写真=済州特別自治道観光協会) 島の東に向かうバスに乗った。島を一周するのに右回りを選んだのは、単に時計回りのほうがなじみやすいからだった。車窓を通して、済州島の雄大な風景が目に入ってくる。青い海が広がり、黒い火山石が露出し、漢拏山(ハルラサン)の寄生火山が起伏をつくっ…
夕暮れの済州島(写真=済州特別自治道観光協会) 島の東側に行くバスの停留所を尋ねたら、歩いて5分くらいの場所だという。そこへ向かっているときに、急に空腹を覚えた。これは大いに望むところだった。済州島の食を満喫するためには、すぐに腹が減ってくれないと困るのだ。 出てきたおか…
三姓穴の聖域化は、朝鮮王朝時代の1526年、当時の李壽童牧使の時代から推進された。穴のまわりに石で垣根をつくり、北側に紅門と碑を建て、春と秋には三姓を受け継いだ一族によって祭祀を行ない、11月には島民による追慕式も開かれるようになった。 済州島の桜(写真=済州特別自治道観光協会) 地元の名所を大切に…
三姓穴の案内によると、石柵に囲まれた芝生の庭の中に3つの穴があるという。ところが、石柵の前で何度も爪先立ちしたが、穴があるとされる、ロープで示された囲いの中をまったく窺い知ることができなかった。他の人たちも、いろいろと方向を変えて何とか見ようとしていたが、結局は諦めてしまっていた。 済州島の滝(写真…
眈羅巡礼図を持っていたのは、陸地(済州島の人は朝鮮半島のことをこう言う)に住んでいた李衡祥の子孫だった。その図を3億ウォンで済州市が買い取り、それを基に各堂を復元したというわけだ。おかげで、李衡祥牧使の子孫は望外の褒美をもらったことになる。持つべきものは偉大な先祖というべきか。 済州島の海(写真=済…
『トッケビ~君がくれた愛しい日々~』でコン・ユが演じた主人公のキム・シンは、高麗時代の武将で現代まで900年以上も生き続けている男だった。彼は主君に裏切られて、自分も死にかけた。しかし、胸に剣を刺したまま生き続けて、現代までトッケビとしてさまよい続けていた。 写真=tvN『トッケビ』公式サイトより …
漢拏山の頂上(写真=済州特別自治道観光協会) 観徳亭のとなりには、朝鮮王朝時代の施設を復元した済州牧官庁という史跡地があった。そこは、耽羅国の時代から島を統括する政治を司った中心地だったようだ。実際、何棟もの堂が新しく復元されていて見栄えがよかった。 史跡の案内係 ひと回りして正門のところで小休止を…