韓国・南西岸への旅3「船旅はとてもいい」 船の中で、安らげる居場所を求めて大部屋の間をウロチョロした。すでに客室では、あちこちで花札が始まっていた。各人が目の前に紙幣を積んでいる雰囲気はまるで賭場のようであり、紙幣も千ウォン札より1万ウォン札が目についた。誰もが旅行気分に浮かれている。 デッキで質問…
出航前の船上デッキ そもそも韓国ではインスタントコーヒーを「こんなに砂糖を入れてどうするんだ」というくらい甘くして飲む人が多い。それにしても、その男は極端だった。あれでは砂糖入りコーヒーではなく、コーヒー入り砂糖湯である。甘いものがよほど好きなのだろうが、そのわりに痩せ型だった。趣味は…
飛鳥寺に今も残る大仏が日本で最古の仏像の1つとされているが、他にも「最古では?」と目される仏像がある。それが善光寺の本尊の「一光三尊阿弥陀如来像」。ただし、絶対秘仏で見ることはできない。 「お戒壇めぐり」 善光寺を訪ねてみる。 現在の善光寺の本堂は1707年に建てられている。間口24メ…
物部氏が滅び、蘇我馬子(そがのうまこ)には、もう誰も逆らえなくなった。たとえ、天皇でさえも……。ただし、用明天皇の後を継いだ崇峻天皇は少なからず蘇我馬子に反感を持っていた。たまたま、猪を献上した者がいた。その猪を見ながら、崇峻天皇は、「猪の頸を斬るように、憎い人間を斬ってみたいものだ」と口走った。 …
済州港の旅客ターミナルの風景 済州(チェジュ)港の旅客ターミナルは、早朝だったこともあって人もまばらだった。午前7時50分発の船なので、まだ50分ほど時間があった。食事をしようと思い、三つ並んだ食堂の中で一番無難な店に入った。 謎の警官 店を選ぶ目安は客の数。他の二つの店…
百済(ペクチェ)の聖王(ソンワン)の使者が来日して、欽明天皇に釈迦仏の金銅像と経論などを贈呈した。仏教の受容をめぐって、政権を支える2大勢力が対立した。 捨てられた仏像 欽明天皇は蘇我氏と物部氏の間をとりもちながらも、やや蘇我氏寄りの判断をした。 「稲目に授けるゆえ、試しに拝んでみたら…
古代の朝鮮半島で、高句麗(コグリョ)の南下政策が過激になったのが5世紀の後半だった。475年、高句麗軍の兵3万は百済(ペクチェ)の都であった慰礼城(ウィレソン/現在のソウル近郊)を激しく攻めた。 475年が転換期 百済の21代王・蓋鹵(ケロ)王は落城寸前に数十騎の供を連れて城門を出て西に逃れようとし…
写真=tvN公式サイトより すれ違う2人 パク・ミニョンは制作発表会でこう語っていた。 「キム・ミソの役を演じるにあたって、しっかりとダイエットして秘書にふさわしい身のこなしを心掛けました」 パク・ミニョンは役作りがとても熱心だ。その甲斐があって、演じているキム秘書は完璧な仕事ぶりだっ…
『日本書紀』の記述によると、応神天皇の時代に百済(ペクチェ)から来日したのが王仁(わに)と言われている。日本に「論語」と「千字文」を持ち込んだそうで、これをもって、漢字と儒教を日本に伝えたのが王仁と称されている。 七支刀 王仁は、日本の文化史上に大きな影響をもたらした大人物だが、生没年は不詳で、実在…
軍隊と言えば「銃」が主な武器であり訓練所では「射撃」が一番厳しい訓練です。 一歩間違えば命に係わるものですから、教える方も教えられる方も真剣で手をぬくわけにはいきません。その間いろいろ噂されていますし、事故が起きたようです(当時の軍隊はいろんな事故が起きても公にしなかったので詳しくはわかりませんが……