観徳亭のとなりには、朝鮮王朝時代の施設を復元した済州牧官庁という史跡地があった。そこは、耽羅国の時代から島を統括する政治を司った中心地だったようだ。実際、何棟もの堂が新しく復元されていて見栄えがよかった。
史跡の案内係
ひと回りして正門のところで小休止をしていたら、誰かから見られている感じがした。気になってあたりを見回すと、韓服を来た中年女性がこちらをうかがっていた。その服の上品な色合いに心を奪われて表情を崩したら、女性が我が意を得たりとにじみ寄ってきて、「日本から来たんですよね」とうれしそうに言った。
誰かと思ったら、この史跡の案内係であった。胸に「高芳順」という名札が付いている。彼女は私を案内したくて仕方がない様子で、頼んでもいないのにこの史跡地の由来を延々と語り始めた。
確かに、済州島到着早々に、始祖の1人に数えられる高氏の末裔が歓待してくれるというのは大変な名誉なことではあった。
しかし、話があまりに長すぎて、相槌を打つのだけでもやや疲れた。それでも、彼女はハングルまじりの日本語で疲れも知らずに延々と話し続けていた。
私は観徳亭や済州牧官庁の由来より、高芳順さんの正体のほうが気になった。まさか、散々案内をしたあげくに、何かまがいものを売りつけるわけではないだろうなあ……。
警戒しながら根掘り葉掘り聞いてみると、済州市で生まれた生粋の済州っ子だという。済州大学校の日本語学科を卒業して、済州島を訪れる日本人観光客のガイドを長く続けていた。それが、済州牧官庁の開設にともなって済州市から案内係を委嘱されたそうだ。
「ここは最初、済州市が地下駐車場にする予定だったんです」
「随分と違うものになってしまったみたいだけど」
「工事中に遺跡がゾクゾクと出てきたので、駐車場にするのをやめて昔の官庁を復元することにしたんです。そんな背景もたっぷり説明しますね」
その言葉が終わるやいなや、私は展示場に連れていかれて、さらに詳しい説明攻勢を受けた。やれやれ。
旧官庁の復元工事は、1703年に作成された眈羅巡礼図が元になっている。そこには、李衡祥牧使(牧使は総督に該当する)が済州島に赴任したときの歓迎式典の様子も描かれていて、その絵から当時の施設の外観や配置をうかがい知ることができた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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