韓国時代劇の『七日の王妃』はタイトルの意味が深い。朝鮮王朝の歴史上、わずか7日間だけ王妃の座に就いた女性が存在する。それが、1487年に生まれて1557年に亡くなった端敬(タンギョン)王后である。 刺客と錯覚 暴君として悪名が高かった10代王・燕山君(ヨンサングン)の廃位を狙ったのは、…
9代王の成宗(ソンジョン)は数々の政治的な業績をなし遂げ、名君に列せられるほどの評価を受けた。ただ、女性との間で騒動をいくつか起こしている。その最たるものが正妻の尹(ユン)氏を廃妃(ペビ)にした事件だった。この尹氏が産んだ息子が燕山君(ヨンサングン)である。 「朝鮮王朝実録」で書かれた…
朝鮮王朝の10代王・燕山君(ヨンサングン)と11代王・中宗(チュンジョン)は、韓国時代劇によく登場する王であり、知名度も高い。この2人の父親は9代王・成宗(ソンジョン)だが、母親がそれぞれ違っている異母兄弟だ。 燕山君の悪行 9代王・成宗は、朝鮮王朝の法律を整備した王として名君の評価を…
936年に朝鮮半島を統一した高麗王朝だったが、当初は地方豪族が政治に介入して王権が混乱することが多かった。そんな中で即位したのが4代王・光宗(クァンジョン/925-975年)だった。彼は韓国ドラマ『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』にも登場する王で、ドラマの中ではイ・ジュンギが演じていた。 &n…
朝鮮半島を統一した新羅だが、長い政権の間に内政の腐敗を招き、各地で頻繁にクーデターが起こるようになった。その結果、後百済(フベクチェ)と後高句麗(フコグリョ)という国が生まれ、再び三国がてい立する後三国時代に突入した。この状況に終止符を打ったのが、後高句麗の武将・王建(ワン・ゴン)だった。彼はクーデ…
668年、高句麗が滅びた後、高句麗の遺民たちは各地に散らばっていった。新羅に帰化する者や、唐に連行される者、異民族の群れに身を寄せる者など様々だった。しかし、中には高句麗を再興させようと、最後まで戦い抜く者たちもいた。高句麗の武将だった大祚榮(テジョヨン)もその1人。大祚榮はいったいどんな王だったの…
今世界でK-POP、K-カルチャー等、やたらと「K-何々」がもてはやされていますが、一昔前まで日本では「KCIA」という言葉が日本のマスコミを賑わしていました。KCIAとは「韓国中央情報部」で、泣く子も黙る恐怖の権力機関として悪名をはせましたが、実はその昔、海外では喧伝されてはいませんでしたが、もっ…
百済13代王・近肖古王(クンチョゴワン)は、11代王・比流王(ピリュワン)の息子として生まれた。幼いときから聡明だった近肖古王は、父の期待を一身に背負い、346年に王に即位した。彼はいったいどのような王様だったのか? 全盛期を築いた王 近肖古王は、王になってからの30年の間に領土を広げ…
高句麗(コグリョ)・百済(ペクチェ)・新羅(シルラ)が覇権を争った三国時代。その三国に続く勢力を持っていたのが、小国の連合体である伽耶(カヤ)だ。伽耶については史実上、謎が多く、その初代王・金首露(キム・スロ)にしても神話的な要素が強い。歴史的な資料が乏しく、史実と神話の境界があいまいなのだ。金首露…
世子を廃された荘献は、ただ許しを請うばかりで一向に自決しようとはしなかったため、英祖は配下の者に米びつを持ってこさせた。その中に荘献を閉じこめて、「絶対に米びつのフタを開けてはならない」と言った。 米びつで餓死した荘献 荘献は、水も食べ物も与えられないまま米びつの中で過ごした。再び米び…