1701年8月に仁顕(イニョン)王后が亡くなります。彼女は1694年に王妃に復位しましたが、7年で世を去りました。最後の1年半はずっと病床にいて起きられない状態が続きました。仁顕王后が亡くなった直後に、「張禧嬪が呪い殺すための儀式をしていた」と淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏が自ら粛宗(スクチョン)に…
NHKの総合テレビで2021年2月から放送が始まる『ヘチ 王座への道』では、主役のチョン・イルが若き日の英祖(ヨンジョ)を演じている。ドラマは、低い身分の血を受け継いだ「歓迎されない王子」が朝鮮王朝の政治を改革するまでを描いているのだが、果たして英祖とはどんな国王だったのか。 無慈悲な父なのか 朝鮮…
『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』に主演したイ・ジュンギは時代劇がよく合う。そのことは本人もはっきりと言っている。彼は「個人的にも、時代劇がとても好きです」と語っている。 イ・ジュンギが演じた人物は? イ・ジュンギは時代劇についてこう解説している。 「現代劇は生活の中の細やかな演技を表現する面…
粛宗(スクチョン)と淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の出会いの背景には派閥闘争がからんでいました。当時、政治的に西人(ソイン)派と南人(ナミン)派が激しく争っていました。その中で、西人派は仁顕(イニョン)王后を支持し、南人派は張禧嬪を後ろで支えました。 粛宗の気持ちが急に変化 仁顕王后が…
仁穆(インモク)王后は、14代王・宣祖(ソンジョ)の二番目の正室となった女性だ。しかし、彼女の人生はかなり辛いものだったと言える。いったい彼女に訪れた不幸とはどんなのものなのか。 綾陽君が起こしたクーデター 1598年、豊臣秀吉の朝鮮出兵(壬辰倭乱〔イムジンウェラン/文禄・慶長の役〕)…
1689年4月、粛宗(スクチョン)は突然高官を集めて、「仁顕(イニョン)王后はあまりにも嫉妬が強すぎる」と露骨に非難しました。朝鮮王朝時代には、地位のある人が妾を持ったりしました。それでも正妻は絶対に嫉妬してはいけないという戒めがありました。なにしろ、当時の法律によると、夫が抱えている妾に嫉妬しただ…
粛宗の在位期間は46年。これは、21代王・英祖(ヨンジョ)に続いて二番目に長い在位期間である。粛宗は王として、生活水準を向上させるための功績を多く残しているのだが……。 派閥党争の激しかった時代 粛宗は、朝鮮王朝18代王・顕宗(ヒョンジョン)と明聖(ミョンソン)王后との間に生まれた。1…
「トンイ」とはイ・ビョンフン監督が演出したドラマ『トンイ』の主人公の名で、歴史的には淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏のことです。彼女は張禧嬪(チャン・ヒビン)と激しい敵対関係にありました。これから5回にわたって2人のライバル物語を語っていきます。 絶世の美女と言われた張禧嬪 19代王・粛…
暴君と呼ばれた10代王・燕山君(ヨンサングン)の側室の1人だった張緑水(チャン・ノクス)。彼女は「朝鮮王朝3大悪女」の1人で、燕山君の傍若無人な振る舞いを助長した人物だ。そんな彼女の生涯を順を追って見ていこう。 幼少期の生活 張緑水は、幼少期にとても貧しい生活を送っていたが、9代王・成宗(ソンジョン…
朝鮮王朝最高の名君と称された4代王・世宗(セジョン)の長男が世子(セジャ)となり、二男の首陽(スヤン)大君には王になる望みがなかった。しかし、野心家の彼はあきらめなかった。その末に、起こったのが王位強奪事件であった。 写真=植村誠 甥を脅かした叔父 世子は1450年に即位して5代王の文宗(ムンジョン…