傑作時代劇『イ・サン』の主人公になった22代王の正祖(チョンジョ)は、1752年に生まれた。父は思悼世子(サドセジャ)で母は恵慶宮(ヘギョングン)であった。史実の正祖はどんな人生を歩んだのだろうか。 朝鮮王朝後期の名君 ◆1762年、父の思悼世子は祖父の英祖(ヨンジョ)によって米びつに…
朝鮮王朝には27人の国王がいたが、4代王・世宗(セジョン)や22代王・正祖(チョンジョ)のように尊敬される名君もいれば、その逆で、業績を残せなかった国王もいた。その中から5人の国王を選んでみた。 政治を仕切る機会を持てなかった3人 ◆文宗(ムンジョン) 〔1414~1452年〕 5代王…
かつて光海君(クァンヘグン)には暴君のイメージが付きまとっていた。しかし、近年になると「むしろ名君ではなかったのか」という再評価の動きが顕著になった。果たして、光海君は暴君だったのか。それとも名君だったのか。その人生を見てみよう。 15代王として即位 ◆光海君は1575年に生まれた。父…
写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 朝鮮王朝で国王の正式な後継者のことを世子(セジャ)と言うが、国王の座を約束されていながら即位できなかった5人を取り上げてみよう。それは、李芳碵(イ・バンソク)、懿敬(ウィギョン)世子、昭顕(ソヒョン)世子、思悼(サド)世子、孝明(ヒョ…
『100日の郎君様』では、主役のド・ギョンスが本当に面白い演技を披露している。彼は元々は音楽界のスターなのだが、俳優としても大活躍しており、演技センスに優れている。まさに、正真正銘のスターだ。 写真=韓国tvN『100日の郎君様』公式サイトより 七変化する演技 『100日の郎君様』でド・ギョンスは、…
かつて光海君(クァンヘグン)には暴君のイメージが付きまとっていた。しかし、近年になると「むしろ名君ではなかったのか」という再評価の動きが顕著になった。果たして、光海君は暴君だったのか。それとも名君だったのか。その人生を見てみよう。 15代王として即位 ◆光海君は1575年に生まれた。父は14代王の宣…
朝鮮王朝の11代王だった中宗(チュンジョン)は1488年に生まれた。父は9代王・成宗(ソンジョン)で、母は貞顕(チョンヒョン)王后だった。中宗は『宮廷女官 チャングムの誓い』でもおなじみの国王である。 赤いチマ岩の伝説 ◆中宗は、王子の時代に晋城大君(チンソンデグン)と呼ばれていた。暴君として有名な…
朝鮮王朝の21代王の英祖(ヨンジョ)は、1694年に生まれた。父は19代王の粛宗(スクチョン)、母は側室の淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏だ(ドラマ「トンイ」の主人公)。異母兄は、粛宗と張禧嬪(チャン・ヒビン)の間に生まれた6歳上の景宗(キョンジョン)だった。 兄を毒殺した首謀者? ◆1704年、英祖…
英祖は、後になって思悼世子を餓死させたことをとても後悔した。せめてもの罪滅ぼしとして、思悼世子の息子の英才教育に力を入れた。それが22代王となった正祖(チョンジョ)である。 勢道政治が横行 正祖の正妻は、孝懿(ヒョイ)王后である。すばらしい人格者で、宮中でも評判がとても良かった。王の子供を産むことは…
明聖(ミョンソン)王后の息子が19代王・粛宗(スクチョン)だった。ただし、明聖王后は、粛宗が正室の仁顕(イニョン)王后がいるにもかかわらず、側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛することが不満だった。それは、張禧嬪の存在が粛宗の王位を危うくするとにらんでいたからだ。 王妃となった張禧嬪 …