金宗瑞(キム・ジョンソ)は今でいう総理大臣であり、一番の権力を握っていました。いくら王族の首陽大君(スヤンデグン)でもうかつに手出しはできなかったはずですが、やはり金宗瑞が油断したのがいけなかったと思います。「大虎」と言われるほど勇敢な人だったのですが、還暦を過ぎてちょっと年を取りすぎていたかもしれ…
朝鮮王朝を揺るがす大事件が起こったのは1453年10月10日でした。この日、首陽大君(スヤンデグン)が金宗瑞(キム・ジョンソ)の邸宅を急に訪問したのです。そのとき、どんな出来事があったのでしょうか。 首陽大君の奇襲 起こった出来事をまとめておきます。 ◆首陽大君という有力な王族が訪ねてきたわけですか…
まずは、初代王・太祖(テジョ)となった李成桂(イ・ソンゲ)についてです。彼は、高麗王朝の武将でしたが、最高実力者となって高麗王を追放し、1392年に朝鮮王朝を創設しました。 神徳王后の存在 その李成桂には妻が2人いましたが、故郷にいたのが神懿(シヌィ)王后です。李成桂を若いときから支え…
朝鮮半島を統一した新羅だが、長い政権の間に内政の腐敗を招き、各地で頻繁にクーデターが起こるようになった。その結果、後百済(フベクチェ)と後高句麗(フコグリョ)という国が生まれ、再び三国がてい立する後三国時代に突入した。この状況に終止符を打ったのが、後高句麗の武将・王建(ワン・ゴン)だった。彼はクーデ…
668年、高句麗が滅びた後、高句麗の遺民たちは各地に散らばっていった。新羅に帰化する者や、唐に連行される者、異民族の群れに身を寄せる者など様々だった。しかし、中には高句麗を再興させようと、最後まで戦い抜く者たちもいた。高句麗の武将だった大祚榮(テジョヨン)もその1人。大祚榮はいったいどんな王だったの…
政治から見た朝鮮王朝の一番の特徴は、「王が統治する中央集権国家」だったということです。日本の江戸時代は、幕府が各藩の大名を支配するという封建的な幕藩体制が政治機構になっていましたが、朝鮮王朝は王の直接的な支配が国土の隅々に及ぶ中央集権体制になっていました。 在位期間が短いのは? 朝鮮王朝の頂点に位置…
朝鮮王朝の歴史の中で特に有名な高官といえば、鄭道伝(チョン・ドジョン)、金宗瑞(キム・ジョンソ)、成三問(ソン・サムムン)、趙光祖(チョ・グァンジョ)、朴文秀(パク・ムンス)の5人である。その人物像を見てみよう。 時代劇にも登場した3人 ◆鄭道伝(チョン・ドジョン) 〔1342~139…
朝鮮王朝の五大偉人といえば、ハングルを作った世宗(セジョン)、儒学の大家の李退渓(イ・テゲ)、救国の英雄の李舜臣(イ・スンシン)、『東医宝鑑』を書いた許浚(ホ・ジュン)、朝鮮王朝後期の名君の正祖(チョンジョ)である。 朝鮮王朝前期の3人 ◆世宗(セジョン) 〔1397~1450年〕 4…
518年間も続いた朝鮮王朝には42人の王妃がいた。その中で「悲劇の五大王妃」と呼ばれたのは、顕徳(ヒョンドク)王后、端敬(タンギョン)王后、仁穆(インモク)王后、仁顕(イニョン)王后、明成(ミョンソン)皇后の5人だ。 悲劇の3人 ◆顕徳(ヒョンドク)王后 〔1418~1441年〕 5代王・文宗(ムン…
『イ・サン』は今も大変な人気を維持している傑作時代劇だが、イ・サンこと正祖(チョンジョ)に5人の女性がからんでくる。その女性たちは、実際にはどんな人物だったのだろうか。改めて取り上げてみよう。 正祖の妻と祖母 まずは、正祖の母親について。それは、恵慶宮(ヘギョングン)である。 21代王・英祖(ヨンジ…