正祖(チョンジョ)は名君として今の韓国でも尊敬されています。4代王・世宗(セジョン)ほどではないにしても、その次くらいの評価を得ています。政治的な業績もたくさんありますが、特に身分が低くても才能がある人を抜擢して、将来に夢を持てる社会を築きました。また、学者が顔負けするほど学識に優れ、文化の発展にも…
正祖(チョンジョ)の即位後の第一声が「朝鮮王朝実録」に詳しく出ています。そのとき正祖は居並ぶ臣下を前にしてこう言いました。「嗚呼!寡人は思悼世子(サドセジャ)の子なり」。この「寡人」というのは、王が自分のことをいうときの言葉です。 祖母に対する処罰は? 正祖が「嗚呼!寡人は思悼世子の子…
粛宗(スクチョン)は1720年に59歳で世を去ります。後を継いだのは張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子で、20代王の景宗(キョンジョン)として即位しました。この景宗はとても性格がよかったそうで、張禧嬪とは違って人望もありました。けれど、在位わずか4年で亡くなります。享年36歳でした。 世子…
せっかく王宮に戻ってきた仁顕(イニョン)王后ですが、病弱で床に臥せっていることが多かったようです。その末に1701年8月に亡くなりました。このとき、張禧嬪(チャン・ヒビン)が祠を建てて仁顕王后を呪い殺そうとしていたことが淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の証言によって発覚します。 波瀾万丈な生涯 粛宗も…
仁顕(イニョン)王后が質素な白いチョゴリを着て、わずかなお供を連れて実家に戻る場面……それは様々な韓国時代劇で描かれてきました。ドラマの中で仁顕王后は、「自分は罪人ですから、実家に戻っても粗末な離れで暮らします」と本当に健気なことを言います。視聴者が同情するのも当然です。 粛宗の言い訳 張禧嬪(チャ…
19代王の粛宗(スクチョン)は孝宗(ヒョジョン)の孫にあたります。在位期間中は農業と商業を活性化させて庶民の生活水準を向上させたことが功績になっています。ドラマ「トンイ」では俳優のチ・ジニが親しみやすい粛宗に扮していますが、「朝鮮王朝実録」の記述を詳しく読むと、自己中心的で女癖が悪いという側面が見え…
清の人質になった昭顕(ソヒョン)はどうなったでしょうか。彼は長い抑留生活を経て1645年に戻ってきました。さぞかし、やつれているかと思ったら、そうではありませんでした。彼は清に居住している西欧人たちとも交流を深め、自分の世界観を広めて帰ってきました。仁祖(インジョ)への帰国挨拶のときも、いかに外国の…
クーデターを成功させた綾陽君(ヌンヤングン)は、16代王の仁祖(インジョ)になります。諡(おくりな)に「祖」がついていますから、名前だけ見ると政治的にどれほど功績があったのかと思う人もいるでしょうが、実際には屈辱にまみれた王でした。おそらく、27人の王の中で、もっとも辱めを受けた王ではないでしょうか…
1623年、クーデターが起きます。リーダーになったのは綾陽君(ヌンヤングン)という28歳の若者で、宣祖(ソンジョ)の孫にあたります。自分の弟が光海君(クァンヘグン)の側近によって殺された怨みもあり、同じく光海君に怨みを持つ同志を集めて決起しました。 光海君の運命 怨みだけでクーデターを…
日本で人気を博した韓国時代劇は数多いが、その中でも『イ・サン』は別格だった。とにかく、このドラマを絶賛する人が多い。それは主役のイ・ソジンの演技力に負う部分も大きいだろう。 正祖の魅力は人間らしさ 『イ・サン』で主役を演じたイ・ソジンが、このドラマについて存分に語っている。そのエッセンスをまとめてみ…