1776年、24歳で正祖(チョンジョ/ドラマ「イ・サン」の主人公)は王になった。即位後の第一声は「嗚呼!寡人は思悼世子の子なり」という言葉だった。この「寡人(クァイン)」というのは、王が自分のことをいうときの表現だ。 王となった正祖 正祖の父親である思悼世子(サドセジャ)は、一部の政治を任せられるほ…
仁穆王后と貞明公主が幽閉された西宮(ソグン)は今の徳寿宮(トクスグン)。写真は正殿の中和殿(チュンファジョン) 永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺された上に、西宮(ソグン)に幽閉された仁穆(インモク)王后と貞明公主(チョンミョンコンジュ)。悲しみのどん底に突き落とされた2人にとって、つい…
写真=韓国MBC『華政』公式サイトより 15代王・光海君(クァンヘグン)によって最愛の弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺された貞明(チョンミョン)公主。彼女自身も王女から庶民に格下げとなり、母の仁穆(インモク)王后と一緒に西宮(ソグン/現在の徳寿宮〔トクスグン〕)に幽閉されてしまった…
写真=韓国MBC『華政』公式サイトより 14代王・宣祖(ソンジョ)と仁穆(インモク)王后を両親にして1603年に生まれた貞明公主(チョンミョンコンジュ)。弟は3歳下の永昌大君(ヨンチャンデグン)だった。宣祖が1608年に亡くなり、異母兄の光海君(クァンヘグン)が15代王になったのだが……
写真=韓国MBC『華政』公式サイトより 公主(コンジュ)というのは、王の正室が産んだ王女のことだ(王の側室が産んだ王女は翁主〔オンジュ〕と言う)。数多くの公主の中でも、貞明公主(チョンミョンコンジュ)は歴史的に有名だ。どんな女性だったのだろうか。 側室から生まれた初めての王 貞明公主の父は、14代王…
朝鮮王朝時代の名君と言えば、なんといっても、ハングルを作った4代王・世宗(セジョン)があまりに有名だ。今でも韓国の小学校に行けば世宗の銅像がよくあるし、1万ウォン紙幣の肖像画になっている。この世宗に名声では及ばないが、匹敵するほどの名君だったと言われているのが22代王の正祖(チョンジョ)である。 &…
政権を掌握して開国政策を進めた明成(ミョンソン)王后は、興宣大院君(フンソンデウォングン)が仕掛けた政変で1882年に追放されます。しかし、彼女は清に助力を求めて巻き返しをはかり、再び王朝内で主導権を奪い取ります。その結果、清の影響力が極端に強くなりました。 大韓帝国への国号変更 不満をあらわにした…
高宗(コジョン)は王になったときにまだ11歳でした。父の興宣大院君(フンソンデウォングン)が摂政を行ないましたが、彼は荒廃していた景福宮(キョンボックン)の再建に乗り出しました。この景福宮は1592年に豊臣軍の攻撃を受けたときに焼失していて、以後は荒廃したままでした。しかし、再建には莫大な資金が必要…
1762年、21代王の英祖(ヨンジョ)は息子の思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めてしまう。思悼世子の素行の悪さに英祖が激怒した結果だった。果たして、結末はどうなったのか。 王宮の一角に置かれた米びつ 時代劇『イ・サン』の第1話の冒頭を振り返ってみよう。 ドラマは、宮中で華やかな祝宴が行なわれて…
貞純(チョンスン)王后は、垂簾聴政から引退した翌年の1805年に60歳で世を去りましたが、代わって実権を握ったのが安東(アンドン)・金(キム)氏の一族でした。この「安東」というのは、一族の流派を示す本貫(ポングァン)のことです。本貫はもともとは始祖の出身地をさす地名のことですが、そこから転じて同族を…