写真=韓国MBC『華政』公式サイトより 1608年に光海君(クァンヘグン)は即位した。しかし、彼の側近は危機感を強めていた。兄の臨海君(イメグン)や異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を支持する一派の巻き返しが恐かったのだ。 済州島に島流し 光海君が即位した後も、血なまぐ…
1592年4月に始まった朝鮮出兵。当初は豊臣軍が快進撃を続けた。両国の戦力に差が出たのは、鉄砲の存在も大きかった。すでに日本には戦国時代を通して鉄砲が伝えられており、王朝軍の弓矢や槍では相手にならなかったのだ。 変わりゆく戦況 劣勢となった王朝軍。宣祖(ソンジョ)は中国大陸の明に助けを…
苦しい局面でも前向きに生きるトンイがいい トンイこと淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏と張禧嬪(チャン・ヒビン)の対立を描いた『トンイ』を紹介しよう。このドラマは、朝鮮王朝で一番有名な時代を描いており、同じテーマの作品はとても多かった。しかし、韓国時代劇の巨匠とも呼ばれるイ・ビョンフン監督…
14代王・宣祖(ソンジョ/在位は1567~1608年)が即位してから25年間が経過した1592年は、朝鮮王朝建国200年の節目の年だった。この記念すべき年に隣国からやってきたのは、祝賀の使節ではなく、10万を越える大軍だった。壬辰倭乱(イムジンウェラン/日本でいえば文禄の役)の始まりである。 対立し…
「伝説の女性」の数奇な運命を鮮やかに描く 『ファン・ジニ』 朝鮮王朝時代、詩と踊りに優れた最高の妓生(キーセン)として実在した黄真伊(ファン・ジニ)を描いた本作。ドラマの中のファン・ジニは、両班の父と妓生の母との間に生まれた。当時、妓生の子は妓生になるきまりがあり、それを回避する唯一の方法は寺に出家…
文定(ムンジョン)王后の息子の慶源(キョンウォン)は、1545年に13代王の明宗(ミョンジョン)として即位した。彼は学問を好み性格も温和だったが、まだ幼かったために強引な母に頭が上がらなかった。実権のほとんどは母の文定王后が握っていた。 尹元衡と鄭蘭貞 文定王后は、敵対勢力への迫害を続けながら自分た…
1544年、朝鮮王朝の11代王・中宗(チュンジョン)は臣下たちの権力争いに苦しめられていた。そうした気苦労は中宗の体調を悪化させた。病に倒れた中宗は、長男に王位を譲った翌日に亡くなった。 献身的な息子 中宗の長男が12代王の仁宗(インジョン)として即位した。29歳だった。 生まれつきからだが弱かった…
多くの血が流れた「甲午士禍」が終わった後の宮中は、無残な荒野のようだった。二つの虐殺事件の後、燕山君(ヨンサングン)の暴政はさらに悪化していき、庶民の暮らしは貧窮を極めた。 国家の一大事 庶民の暮らしが悪化しても、女遊びと酒宴に明け暮れる燕山君。怒りを覚えた人々は、 「王は女と酒のこと…
王が絶対的な権力を持つ朝鮮王朝では、王が名君ならば平穏な時代が流れ、暴君ならば混乱をきわめた。10代王の燕山君(ヨンサングン)は最悪の暴君であり、朝鮮王朝がもっとも血に染まった時代だ。 燕山君を嫌う臣下たち 1494年に即位した燕山君は、王政を放棄して堕落した日々を送り、国の財源は日に…
1494年、惜しまれながら9代王の成宗(ソンジョン)がこの世を去った。次の王に就いたのは、斉献王后が産んだ王子で18歳だった。この王が10代王の燕山君(ヨンサングン)である。 少年時代の燕山君 燕山君は幼くして母を失ったために、母の温もりを知らずに過ごした。結局乳母に育てられたのだが、…