明と豊臣軍の間で続いていた和睦交渉の結果、最終的に豊臣秀吉は次のような条件を明に突きつけた……「明の皇帝は皇女を日本の天皇の后にする」「日本と明の間で途絶えている通交を再開させる」「朝鮮半島の中で北の4つの道と都の漢陽を朝鮮王朝に返す」。明の皇帝が承諾する可能性はなかった。 激怒した秀…
「応永の外寇」が起こったときの国王は4代王・世宗だった 1333年に鎌倉幕府が倒れ、日本の政権は室町幕府に移っていく。朝鮮半島では1392年に高麗王朝が滅び、代わって朝鮮王朝が誕生した。この朝鮮王朝は建国当初から倭寇の狼藉に苦しめられていた。 三浦の制 「対馬こそが倭寇の…
仁粋大妃の功績で有名なのは、『内訓(ネフン)』という本を著したことです。女性が守るべき道徳、倫理、生活態度などをまとめた本で、いわば上流階級にいる女性のための修身の教科書です。 悲惨な最期 『内訓』の内容も、男尊女卑の風潮が強かった当時の社会を反映して、“親に従い、夫に従い、子に従う”…
仁粋大妃は息子の成宗(ソンジョン)がまだ10歳だったので、垂簾聴政(すいれんちょうせい)が必要でした。これは、幼い王の背後に御簾(みす)をたらし、その奥から摂政の人が重要な政治的決定をするというものです。 熱心な仏教徒 垂簾聴政を朝鮮王朝で初めて行なったのが貞熹王后です。ただし、貞熹王后は学がなくて…
仁粋大妃は、9代王・成宗(ソンジョン)の母親です。ドラマ『王と妃』(1998年制作)では女優チェ・シラが扮しました。2012年に韓国で評判になったドラマ『インス大妃』も同じチェ・シラが演じています。 王の母 仁粋大妃は、7代王・世祖(セジョ)の長男だった懿敬(ウィギョン)の妻でした。こ…
朝鮮王朝では国王が最高権力者だが、その国王ですら恐れたのが「鬼嫁」に該当する王妃や世子嬪(セジャビン/次代の王妃)である。それは、神懿(シンイ)王后、貞熹(チョンヒ)王后、廃妃・尹氏(ユンシ)、明聖(ミョンソン)王后、恵慶宮(ヘギョングン)の5人だ。 『王女の男』に登場した貞熹王后 国…
518年間も続いた朝鮮王朝には42人の王妃がいた。その中には、幸福を満喫した王妃もいれば、悲惨な目にあった王妃がいた。今回は、理不尽な仕打ちを受けた「悲惨な五大王妃」を取り上げてみよう。 悲惨な3人 まずは「悲惨な五大王妃」の中の3人を取り上げる。 ◆廃妃・尹氏(ユンシ) 〔1445~…
660年、百済が新羅と唐の連合軍によって滅ぼされた。都の扶余(プヨ)は7日間燃え続けた。百済の王家も崩壊した。ただし、復興を信じて局地的に戦ったのが鬼室福信(キシルポクシン)である。百済最後の国王であった義慈王のいとこだった。 百済の暫定的な王 鬼室福信は生き残った兵を巧みに編成し、各…
9代王・成宗(ソンジョン)は、王として実に多くの業績を残している。しかし、女好きがたたり、多くのトラブルも起こしてしまった。その筆頭が、廃妃・尹氏(ユンシ)との問題だった。 仁粋大妃の忠告 成宗は1469年に12歳で即位すると、7代王・世祖(セジョ)の功臣の娘を妻に迎えた。一種の政略結…
日本でも大きな人気を博した『イ・サン』と『トンイ』。この二つの傑作時代劇が深くつながっていることを連想させる場面がある。鍵を握るのはいったい、どんな宝飾品だろうか。 英祖の最期 まずは、先につくられた『イ・サン』(2007~2008年の制作)から見てみよう。第44話で21代王・英祖(ヨ…