9代王・成宗(ソンジョン)は、王として実に多くの業績を残している。しかし、女好きがたたり、多くのトラブルも起こしてしまった。その筆頭が、廃妃・尹氏(ユンシ)との問題だった。
仁粋大妃の忠告
成宗は1469年に12歳で即位すると、7代王・世祖(セジョ)の功臣の娘を妻に迎えた。一種の政略結婚だが、成宗は美しくない妻を愛することができなかった。
しかし、成宗の妻は即位5年でこの世を去った。すると彼女との間に後継者をもうけられなかった成宗は、美しい容姿を持つ尹氏を正室として迎えた。
彼女は成宗の希望どおり息子を産んだ。この息子こそが後の暴君となる燕山君(ヨンサングン)である。
もとから嫉妬深くわがままだった尹氏は、後継者を産んでどんどん傲慢になっていった。彼女は成宗に近づく自分以外の女性たちに、執拗な嫌がらせを繰り返した。そのため、彼女の評判は最悪だった。
尹氏の横暴に耐えられなくなった宮女たちは、成宗の母だった仁粋(インス)大妃に助けを求めた。
仁粋大妃は成宗に対して、尹氏の悪行を追及して少し距離を置くように話した。
母親の助言を無視することができない成宗は、次第に尹氏に会う頻度を減らしていった。しかし、自尊心の高い尹氏には、そうした状況がとうてい我慢できなかった。
最後には、自分の部屋の中に、呪いの言葉の書かれた本と毒薬を持ちこみ、呪いの儀式を行なおうとした。しかし、その企てはすぐに成宗の耳に届いてしまう。ますます成宗は尹氏を遠ざけた。
しかし、成宗は尹氏が産んだ王子を後継者に指名した。長男であったからだ。
しばらく時間が経ち、ひさしぶりに成宗は尹氏のもとを訪ねた。しかし、尹氏は精神をひどく病んでおり、成宗を見るや彼の顔にひっかき傷をつけてしまう。
結局、尹氏は廃妃になり、王宮から追放された。さらに、1482年には死罪になってしまった。
毒薬を飲んで激しく吐血した彼女は、血に濡れた布を母に渡し、「この布をいつか息子に……」と言って息を引き取った。
尹氏の死罪は息子の燕山君には徹底的に隠された。しかし、この秘密を燕山君が知ったとき、朝鮮王朝は最悪の展開を迎えることになった。燕山君は母の死に関係した者たちをことごとく虐殺したのだ。
王妃の歴史実録2/『七日の王妃』の端敬王后はなぜ復位できなかったのか
コラム提供:韓流テスギ