1680年、張禧嬪(チャン・ヒビン)が女官として宮中に入ってくると、その美貌がたちまち評判となって粛宗の目にとまった。そのとき、粛宗が19歳で、張禧嬪が21歳になっていた。 我が子の将来のために 粛宗の母の明聖(ミョンソン)王后は張禧嬪を毛嫌いした。美貌に隠された野心を見抜いたからである。 「あの女…
朝鮮王朝では未成年の王が即位した場合、王族最長老の女性が代理で政治を仕切ることになっていた。そういうときこそ、政治が大いに乱れた。腐敗政治の元凶になった3人の大妃(テビ/王の母)を取り上げてみよう。 本当の巨悪とは? 朝鮮王朝の悪女というと、よく「三大悪女」が話題になる。その3人とは、…
朝鮮王朝では国王が絶対的な権力者であったが、実は国王以上に目立っていた王妃が何人もいた。それは、元敬(ウォンギョン)王后、貞熹(チョンヒ)王后、仁粋(インス)大妃、明聖(ミョンソン)王后、純元(スヌォン)王后の5人だった。 朝鮮王朝の女傑5人 ◆元敬(ウォンギョン)王后 〔1365~1…
2007年に韓国で放送された時に最高視聴率38・9%を記録した『イ・サン』。あまりの人気の高さに、当初は全60話の予定を全77話まで延長したほどだった。この傑作で、主役のイ・ソジンが披露した抜群のアドリブを紹介しよう。 イ・ソジンの提案 『イ・サン』は、朝鮮王朝518年の歴史の中で特に…
518年間も続いた朝鮮王朝には42人の王妃がいた。その中には、幸福を満喫した王妃もいれば、悲惨な目にあった王妃がいた。今回は、理不尽な仕打ちを受けた「悲惨な五大王妃」を取り上げてみよう。 悲惨な3人 まずは「悲惨な五大王妃」の中の5人を取り上げる。 ◆廃妃・尹氏(ユンシ) 〔1445~1482年〕 …
朝鮮王朝27人の王の中で名君として尊敬を集める正祖(チョンジョ)の波乱に満ちた生涯を描いた『イ・サン』。この壮大なドラマは、父と子(孫)、母と子、組織におけるリーダーシップ、王がめざすべき政治の根本、永遠の友情、究極の愛……など、心を揺さぶる様々なテーマを幾重にも織り込んだ“感動の玉手箱”のような作…
朝鮮王朝の13代王だった明宗(ミョンジョン)は、中宗(チュンジョン)と文定(ムンジョン)王后の息子として1534年に生まれた。彼は中宗の二男であったが、母の文定王后は我が子を王にするために悪行のかぎりを尽くした。 悪政の時代 明宗は1545年に11歳で即位した。 彼が王になれたのは、異…
1776年、24歳で正祖(チョンジョ/ドラマ「イ・サン」の主人公)は王になった。即位後の第一声は「嗚呼!寡人は思悼世子の子なり」という言葉だった。この「寡人(クァイン)」というのは、王が自分のことをいうときの表現だ。 王となった正祖 正祖の父親である思悼世子(サドセジャ)は、一部の政治…
『七日の王妃』の主役となっているのは端敬(タンギョン)王后だ。彼女は廃妃(ペビ)になってしまったのだが、その後に復位させるという話もあった。しかし、それがなぜ実現しなかったのか。 廃妃の理由 『七日の王妃』は、端敬王后をめぐって異母兄弟同士が確執を繰り広げるドラマだ。その異母兄弟という…
朝鮮王朝時代の名君と言えば、なんといっても、ハングルを作った4代王・世宗(セジョン)があまりに有名だ。今でも韓国の小学校に行けば世宗の銅像がよくあるし、1万ウォン紙幣の肖像画になっている。この世宗に名声では及ばないが、匹敵するほどの名君だったと言われているのが22代王の正祖(チョンジョ)である。 &…