【時代劇が面白い】王妃の歴史実録2/『七日の王妃』の端敬王后はなぜ復位できなかったのか

『七日の王妃』の主役となっているのは端敬(タンギョン)王后だ。彼女は廃妃(ペビ)になってしまったのだが、その後に復位させるという話もあった。しかし、それがなぜ実現しなかったのか。

 

廃妃の理由
『七日の王妃』は、端敬王后をめぐって異母兄弟同士が確執を繰り広げるドラマだ。その異母兄弟というのは、燕山君(ヨンサングン)と晋城大君(チンソンデグン)だ。
国王であった燕山君は暴君としてあまりにも有名だが、異母弟の晋城大君をいじめ抜いていた。そんな彼は多くの人から恨まれていて、1506年にクーデターで王宮を追われてしまった。


廃位になった後は、江華島(カンファド)に流されて2カ月あまりで絶命している。
燕山君に代わって即位したのが晋城大君であり、彼は11代王・中宗(チュンジョン)になった。
彼の妻の端敬王后は堂々たる「国母(クンモ)」になったのだ。


しかし、クーデターを成功させた高官たちは、端敬王后の廃妃を主張した。なぜならば、端敬王后の父親が燕山君の側近で、クーデターのときに殺害されているからだ。しかも、燕山君の正室も端敬王后の叔母であった。

このように端敬王后の親族には、燕山君に関係する者が多かった。そこで、クーデターを成功させた高官たちは、燕山君の残党たちが端敬王后を担いで復讐に乗り出すのではないかという恐れを抱き、端敬王后の廃妃を主張したのだ。
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