『雲が描いた月明り』には、茶山(タサン)先生という人物が出てくる。何かとイ・ヨンを助ける頼もしい人なのだが、この人は史実では丁若鏞(チョン・ヤギョン)という大学者であった。 写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 華城の建設に貢献 『雲が描いた月明り』で、茶山先生を演じたのはアン・ネサン…
写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより パク・ボゴムとキム・ユジョンが主人公を演じた『雲が描いた月明り』は、新しい感覚の時代劇として韓国で大ヒットした。このドラマは、実際の歴史とはどう違うのだろうか。具体的に解説してみよう。 イ・ヨンの生母 朝鮮王朝の王族でイ・ヨンと言えば、それはまさし…
垂簾聴政の指南役 王妃になれなかった仁粋大妃。しかし、彼女が産んだ二男が9代王・成宗(ソンジョン)として即位したために、王の母となり“大妃”の座にのぼった。彼女は王宮の女性の中で特に教養が高く、政治的な判断力にも優れていた。 韓国時代劇『王と妃』の第123話には、12歳で即位した成宗があまりに幼すぎ…
写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 朝鮮王朝を舞台にした韓国時代劇には、王宮で勤務する様々な官僚や女官が登場するが、その中でも特に出番が多いのが内侍府(ネシブ)の内官(ネグァン)たちである。なぜなら、彼らはピッタリと王族に密着していたからだ。 王宮で一番仕…
7代王・世祖(セジョ)がまだ王子時代だった1428年に彼と結婚した貞熹(チョンヒ)王后(1418-1483年)。本来は次男で王位に縁がないはずの夫が1455年に甥から王位を奪い、その結果、貞熹王后も王妃になることができた。 3歳では無理 王妃は朝鮮王朝で「国母(クンモ)」と呼ばれた。 …
『雲が描いた月明り』では、世子のイ・ヨンの父である国王の純祖(スンジョ)が、官僚たちに言いように政治を仕切られてしまうという無力ぶりが目立っていた。果たして、実際の純祖はどのような王であったのだろうか。 写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 名君だった父の後を継いだが…… 1800年に…
1414年、文宗(ムンジョン)は4代王・世宗(セジョン)の長男として生まれた。頭が良く学問を好んでいた。しかし、病弱だったことが彼の夫婦生活に影響を及ぼしていた。そんな文宗には3人の妻がいた。 2人の正室の惨めな死 文宗が最初に妻として迎えたのは金氏(キムシ)という女性だった。彼女には「早く子供が欲…
写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 『雲が描いた月明り』では世子のイ・ヨンの生母は死んだことになっていたが、実際の母は純元(スヌォン)王后と言って、19世紀前半の朝鮮王朝で女帝のようにふるまった怪女であった。果たして、どんな女性だったのだろうか。 勢道政治が始まる 純元王后は1789…
ハングルを作ったことで有名な4代王・世宗(セジョン)。その彼を支えたのが妻の昭憲(ソホン)王后(1395-1446年)である。彼女が王妃になったことで実家が大いに繁栄したが、その後、まるで奈落の底に落ちたかのように地獄の人生を過ごした。 他の女性のお手本 昭憲王后が3代王・太宗(テジョ…
写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 『雲が描いた月明り』の主人公になっていたイ・ヨンは孝明世子と呼ばれた。彼は23代王・純祖(スンジョ)の長男として1809年に生まれたが、5歳で世子になり、頭脳明晰な後継ぎとして有名だった。 政治の経験を積ませるために 世…