当時の日本と朝鮮半島の関係はどうだったのか。徳川幕府が倒れて明治維新になったのが1868年である。それまでの朝鮮王朝は徳川幕府と仲が良く、265年間に朝鮮通信使が12回来日していた。朝鮮王朝は、「徳川幕府を倒した明治維新政府はどうなのか」と疑問を感じていた。一方、明治維新政府も「徳川幕府と仲の良かっ…
1674年に即位した19代王・粛宗(スクチョン)は、商業の活性化をはかり庶民の生活向上に成果を発揮した。しかし、女性問題で度々トラブルを起こしている。 英祖の息子 粛宗は側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛するあまり、正室の仁顕(イニョン)王后を廃妃にしたり、あるいは、気まぐれのように…
1592年というと、朝鮮王朝が創設されてから200周年になる。この記念すべき年に朝鮮王朝は存亡の危機を迎えた。豊臣軍の朝鮮出兵があったからだ。そのときの王は14代王の宣祖(ソンジョ)だった。 李舜臣の活躍 実は、朝鮮出兵がある2年前に、朝鮮王朝側は、日本の動きが不穏だということで情勢を…
11代王の中宗(チュンジョン)は自分が王になりたくてなったわけではない。それなのに、クーデターを成功させた高官たちは、いきなり中宗に「妻と離縁してください」と要請してきた。妻は中宗の即位にともなって端敬(タンギョン)王后になっていた。 高官の言いなりになった王 「なぜ別れなければならな…
金宗瑞を倒した首陽大君は端宗の元を訪ねて、脅すような形で王命を発令させて高官を招集する。その際に、高官たちには1人ずつしか通れないような狭い門をわざと指定する。そうしておいて、味方はそのまま入れて、反対派は門から入ってきた時点ですぐに撲殺した。一夜にしてクーデターが成功してしまったのである。 退位さ…
世宗が1450年に亡くなったあと、彼の長男の文宗(ムンジョン)が王位を継いだ。彼は諡(おくりな)に「文」という字をもらうくらい、学識に優れた王だった。しかし、身体が弱かった。世宗が亡くなるまでの数年間は代理で政治を仕切っており、政治的にもかなり実績を残していて名君になれる可能性が高かったのだが、王に…
936年に朝鮮半島を統一した高麗(コリョ)王朝は、14世紀の後半でも健在だった。しかし、仏教国家の優遇策で政治的に権力を持った仏教僧侶が国政に介入して、国内が混乱していった。その中で、異民族の撃退などで頭角を現したのが武将の李成桂(イ・ソンゲ)だ。 高麗王を追放 1388年、中国大陸で…
ドラマ『華政(ファジョン)』の主人公になっていた貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)。果たして、どのように波瀾万丈な日々を送ったのだろうか。彼女の結婚を中心にその人生をたどってみよう。 画像=MBC 9年間の幽閉生活 貞明公主は1603年に14代王・宣祖(ソンジョ)の娘として生まれた。母は、宣祖の二…
11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后。彼女は自分が産んだ慶源大君(キョンウォンデグン)を王にするために、手段を選ばぬ悪行を重ねていた。特に、中宗の二番目の正室が産んだ12代王・仁宗(インジョン)の暗殺を狙った。 文定王后を訪ねた仁宗 中宗は1544年に56歳で世を…
9代王・成宗(ソンジョン)の母が仁粋(インス)大妃だ。彼女は成宗の二番目の正室だった尹氏(ユンシ)のことを「育ちが悪いし、野心的すぎる」と嫌っていた。その感情が尹氏をどんどん追い込んでいった。 初めての廃妃 母の仁粋大妃が嫌っていることもあって、成宗は尹氏の部屋を訪ねることが少なかった。その分、成宗…