金宗瑞を倒した首陽大君は端宗の元を訪ねて、脅すような形で王命を発令させて高官を招集する。その際に、高官たちには1人ずつしか通れないような狭い門をわざと指定する。そうしておいて、味方はそのまま入れて、反対派は門から入ってきた時点ですぐに撲殺した。一夜にしてクーデターが成功してしまったのである。
退位させられた端宗
本来なら金宗瑞は、端宗の後見人として一番権力を握っていた高官だった。王族の首陽大君といってもなかなか手出しはできなかったはずだ。金宗瑞が油断したとしか言いようがない。
端宗は気が弱く、叔父の言いなりになってしまい、1455年には首陽大君によって強制的に退位させられている。一応は上王になったが、それは形だけだった。こうして、首陽大君が即位して7代王・世祖(セジョ)になった。
世祖は、政治的な業績が多かったと言われているが、甥から王位を強奪したのは間違いない。翌年の1456年になると、「これは絶対にあってはいけないことだ」と憤慨する高官も出てきて、彼らが、王位を奪われた端宗をもう一度王に戻そうという復権運動を計画する。世宗がハングルを作るときに貢献したと言われている成三問(ソン・サムムン)が中心人物である。
彼と同志は世祖の暗殺を狙う。ちょうど中国大陸の明から使節が来ており、その歓迎行事のときを決行日に決めた。行事には政権の有力者がほとんど集まるので「そのときに乗じて世祖と側近を殺してしまおう」というわけだ。しかし、裏切り者が出て、計画は露顕してしまう。
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