写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 朝鮮王朝23代王・純祖(スンジョ)の時代を舞台に、宮中の陰謀や恋模様を描いた時代劇『雲が描いた月明り』。韓国インターネット上で累計観覧数5000万PVを超えたユン・イスク作家の人気WEB小説初の実写化作品だ。 人気WEB小説初の実写化 本作の大まか…
1800年、名君として名高い22代王・正祖(チョンジョ)が亡くなり、その息子が10歳の若さで23代王・純祖(スンジョ)として即位した。幼い純祖が王位についたのは、正祖には他に息子がいなかったからだ。しかし、成人もしていない王が政治をするのは無理があり、垂簾聴政を行なったのが、21代王・英祖(ヨンジョ…
11代王・中宗(チュンジョン)には3人の妻がいた。最初の妻は父が燕山君(ヨンサングン)の側近だったために追放された端敬(タンギョン)王后。2人目の妻は12代王・仁宗(インジョン)を産んですぐに亡くなった章敬(チャンギョン)王后だ。そして、3人目の妻が文定(ムンジョン)王后〔1501年~1565年〕で…
9代王・成宗は王としては多くの偉業を残した。しかし、女好きがたたり、多くの問題も起こしている。その筆頭が廃妃(ペビ)・尹氏(ユンシ)との問題だ。果たして、それはどんなことだったのだろうか。 写真=植村誠 成宗の正室となった尹氏 成宗(ソンジョン)は12歳で即位すると同時に、7代王・世祖(セジョ)の功…
仁粋(インス)大妃は、もともと、7代王・世祖(セジョ)の長男・懿敬(ウィギョン)の正妻である。懿敬は世子(セジャ/王の後継者)だったので、仁粋大妃も本来なら王妃になるはずだったのだが、懿敬が19歳で夭逝したために、それは叶わなかった。 垂簾聴政の指南役 王妃になれなかった仁粋大妃。しかし、彼女が産ん…
7代王・世祖(セジョ)がまだ王子時代だった1428年に彼と結婚した貞熹(チョンヒ)王后(1418-1483年)。本来は次男で王位に縁がないはずの夫が1455年に甥から王位を奪い、その結果、貞熹王后も王妃になることができた。 3歳では無理 王妃は朝鮮王朝で「国母(クンモ)」と呼ばれた。 女性の最高位で…
1414年、文宗(ムンジョン)は4代王・世宗(セジョン)の長男として生まれた。頭が良く学問を好んでいた。しかし、病弱だったことが彼の夫婦生活に影響を及ぼしていた。そんな文宗には3人の妻がいた。 2人の正室の惨めな死 文宗が最初に妻として迎えたのは金氏(キムシ)という女性だった。彼女には…
ハングルを作ったことで有名な4代王・世宗(セジョン)。その彼を支えたのが妻の昭憲(ソホン)王后(1395-1446年)である。彼女が王妃になったことで実家が大いに繁栄したが、その後、まるで奈落の底に落ちたかのように地獄の人生を過ごした。 他の女性のお手本 昭憲王后が3代王・太宗(テジョ…
1392年に朝鮮王朝を建国した太祖(テジョ)の五男である芳遠(バンウォン)は、1400年に3代王の太宗(テジョン)となった。その彼を妻として支えたのが元敬王后(ウォンギョン)王后(1365-1420年)だが、その生活は、夫婦円満というわけにはいかなかった。 夫婦仲は冷めきった 1382…
「朝鮮王朝実録」によると、貞純王后は処罰されることに抵抗して断食したそうだ。祖母がそこまでしているのに、正祖は簡単には処罰できない。なんといっても、朝鮮王朝では儒教が国教だ。「孝」を重視する社会において、孫が王族最長老の祖母を処罰するということが簡単にできるはずがない。 正祖が長生きしていれば 結局…