朝鮮王朝の歴史を見てみると、将来は国王になれたのに兄弟に殺されてしまった王子が5人もいた。それは果たして誰なのか。やはり、国王の座をめぐる「骨肉の争い」が背景にあるのだ。 弟2人を殺した兄 最初に取り上げるのは李芳碵(イ・バンソク)だ。 朝鮮王朝を建国した初代王・太祖(テジョ)の八男である。 幼いと…
多くの血が流れた「甲午士禍」が終わった後の宮中は、無残な荒野のようだった。二つの虐殺事件の後、燕山君(ヨンサングン)の暴政はさらに悪化していき、庶民の暮らしは貧窮を極めた。 国家の一大事 庶民の暮らしが悪化しても、女遊びと酒宴に明け暮れる燕山君。怒りを覚えた人々は、 「王は女と酒のことしか頭にない愚…
朝鮮王朝の法律に沿って王が決定されたように、王妃もまた厳格な法を適用されて決められていました。それだけに、王妃を廃妃にするのは容易ではないのですが、実際には多くの王妃が廃妃になっています。 理不尽な廃妃 一番悲惨なのは、夫の廃位にともなって廃妃になったケースです。10代王・燕山君(ヨン…
朝鮮王朝27人の王の平均寿命は46歳である。激務だったこともあり、平均的に「人生50年」とはいかなかった。その中で最も長寿だったのが、82歳まで生きた21代王・英祖(ヨンジョ)だ。彼は長寿であると共に、在位期間も王の中で1番長かった。 悲劇的な事件 まずはランキングを見てみよう。 〔長生きした王〕 …
朝鮮半島では昔から胎教を重視していて、朝鮮王朝の王妃ともなればなおさらだった。大切なのは、身と心を清く保つこと。王妃はからだを清潔に保ち、見苦しいものを見ないように心掛けた。 元子とは何か 妊娠した王妃は、食事に細心の注意をはらった。 料理には旬の材料だけを使い、食べ合わせが工夫された…
朝鮮王朝の歴史は、初代王・太祖(テジョ)から16代王・仁祖(インジョ)までを前期、それ以降を後期と分けるのが基本である。そして、前期と後期では王が抱える側室の数がまるで違った。 後期に側室が減った事情 朝鮮王朝の前期は、王族の男子が多いほうが後継者が不足しなくていい、という考え方のもと…
果たして、27人いた朝鮮王朝の国王の中で、一番多くの子供を得たのは誰なのか。とても興味があることなので、ランキングで表示してみた。すると、意外な事実も見えてきたのだが……。 名君の子供の数は? 朝鮮王朝の歴代王には総勢235人の子供がいる。その中で側室が産んだ子の数は154人で、正室が…
王が絶対的な権力を持つ朝鮮王朝では、王が名君ならば平穏な時代が流れ、暴君ならば混乱をきわめた。10代王の燕山君(ヨンサングン)は最悪の暴君であり、朝鮮王朝がもっとも血に染まった時代だ。 燕山君を嫌う臣下たち 1494年に即位した燕山君は、王政を放棄して堕落した日々を送り、国の財源は日に…
「時代劇の巨匠」と称されるイ・ビョンフン監督が演出した『イ・サン』。このドラマではイ・ソジンがとても素晴らしい演技を披露したが、その相手役になったのがハン・ジミンだった。彼女が演じたソンヨンの実在のモデルとは? 4人の側室 イ・サンこと正祖(チョンジョ)の正室は孝懿(ヒョイ)王后である…
朝鮮王朝で三大悪女と称される女性たちは、低い身分から必死に成り上がろうとした結果として悪評を受け、運命に翻弄された部分も強かった。むしろ、本当の“ワル”は権力を握る側にいたのである。 政治を私物化 「朝鮮王朝三大悪女」と呼ばれるのは、張緑水(チャン・ノクス)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、張禧嬪(チ…