韓国時代劇によく登場する19代王の粛宗(スクチョン)は、27人いる朝鮮王朝国王の中で、とても有名な人物である。彼が亡くなったのが1720年で、今年で300年になる。
粛宗の正室
粛宗は、1674年に13歳で即位した。
彼の最初の正室は仁敬(インギョン)王后だった。彼女は3人の王女を産んだのだが、1680年に19歳で亡くなった。
二番目の正室となったのが仁顕(イニョン)王后で、彼女には子供ができなかった。
王位を継承できる後継ぎを熱望していた粛宗は焦っていた。そんな彼の目にとまったのが張禧嬪(チャン・ヒビン)であった。彼女は側室になった後の1688年に、粛宗の長男を産んだ。
すると、粛宗は仁顕王后の廃妃を宣言した。もちろん、多くの高官たちが反対したが、粛宗は自らの決定を押し通した。
こうして仁顕王后は宮中から追放されて実家に帰された。
彼女は「私は罪人です」と自らを卑下し、実家の奥の離れで質素に暮らした。
その一方で、空いた王妃の座に昇格したのが張禧嬪だった。彼女は王宮の中で贅沢三昧に暮らした。
しかし、張禧嬪の栄華は長続きしなかった。粛宗が豹変したからだ。彼は新しい側室として淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏を寵愛するようになった。彼女は時代劇『トンイ』の主人公になった女性だ。
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