「コラム」連載 康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.121「またまた再放送の『トンイ』」

歴史の闇

この事件では、「張禧嬪(チャン・ヒビン)の兄であった張希載(チャン・ヒジェ)が淑嬪・崔氏を毒殺しようとした」という告発が粛宗のもとに寄せられた。
張希載は済州島(チェジュド)に流罪となり、関与を疑われた張禧嬪も王妃から側室に降格させられた。
こうして先に廃妃になっていた仁顕(イニョン)王后が王妃に復帰した。
淑嬪・崔氏は、1694年の秋に再び粛宗の息子を産んでいる。後の21代王・英祖(ヨンジョ)である。この英祖は52年も王位に就くことになるのだから、淑嬪・崔氏からよほど丈夫な身体に産んでもらったのだろう。

再び大事件が起こったのは1701年8月だ。仁顕王后が亡くなったのだが、淑嬪・崔氏は粛宗に対して「張禧嬪が仁顕王后を呪詛(じゅそ)していました」と告発した。この証言がとても大きく、張禧嬪は死罪になってしまった。
王妃の座は空いたので、淑嬪・崔氏が新しい王妃になると思われたが、粛宗は淑嬪・崔氏を昇格させないで、仁元(イヌォン)王后を新たに王妃に迎えた。
不可解なのは、淑嬪・崔氏が王宮の外に出されてしまったことだ。
粛宗が淑嬪・崔氏に冷たくなった理由はわからない。歴史の闇は、今となっては解明することも困難だ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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    2020.07.18