約40年後にも似たような事態が起こりました、清の侵略(1636年)により多くの女性が清国に連れていかれ売買されたり蹂躙され、数年後に帰国した時、待っていたのは何故貞操を守らなったのかと言う理不尽な非難でした。
肩身の狭い思いをした女性は自害したり離縁される等、その数があまりにも多かったので、当時の王様が見かねてそれぞれの故郷の川に入り禊をすれば不問にすると宣言しました。しかし、現実はほとんど受け入れられませんでした。この時、帰国した女性を″ファニャンニョ/還郷女”と言って今でも操を守らない女性の代名詞として使われています。
そして日本の統治下では軍の慰安婦制度がありました。私事ですが私の母親は既婚者であれば駆り出されないと早々と17歳で結婚をしたそうです。
異民族の侵略だけでなく現代に至っても朝鮮戦争という同族が相争う悲劇がまたも弱き女性や子供に降りかかりました。このように度重なる戦乱がこの国の女性を強く鍛え上げたに違いありません。普段は威張り腐ってるくせにいざという時に女子供を守れない男どもに頼らないで自助すべく精神と手段を身に付けようとするのは至極当然のことです。
この歴史的DNAに加えて現代においても左右対立、民族分断、政治的激動(独裁政治、クーデター、民主革命等)や経済危機(IMF管理体制)、急激なインフレ、熾烈な入試戦争など目前の激流に対応するためには、夫の給料でささやかに家庭を守りコツコツと築き上げていては競争に乗り遅れるばかりか落後してしまうので、心を鬼にして立ち向かわねば勝ち残れません。このような時空の環境により韓国の女性は逞しさと生活力を身に着けてきました。
皆さんの身近な話を例に韓国女性の逞しさの一端を紹介しましょう。場所は韓国クラブがひしめく東京の赤坂、時は西暦2000年前後。
私の友人の友達Aは韓国クラブが大好きでホステスに入れ込み1億円をつぎ込んだ挙げ句、裏切られる。その痛手で二度と赤坂には出入りしないと誓う。しかし、半年がたつとムズムズ赤坂が恋しくなる。Aいわく″クラブに行っても深入りしなければ問題ないだろう”と自分を説得し再び赤坂通い。
ところが赤坂の名だたる韓国クラブではAの背中には1億円の価格表がついているので、あの手この手を使ってAを口説こうと躍起になるが、Aはアツものにこりて手を出さず、3か月が過ぎたある日好きなタイプのチーママに出くわす。
30前後の小柄な女性。何度か通ってる内ににそのチーママから閉店後に度々食事に誘われるが、断る。だが、とある日。帰りが一緒になり家まで送る。彼女が送ってくれたお礼に上がってコーヒーでも、と勧められる。コーヒー一杯ぐらいなら構わないだろうとマンションに上がる。ところが彼女はコーヒーを入れるどころか、シャワーを浴びてるではないか?! バスタオル姿の彼女に思わず唾を飲み込む!!! …ことが終わりハタと後悔が!?
深入りしていけいけないと、相場の三倍の30万を渡す。彼女は怒り、手でお金をはらい″私はお金の為にしたわけでない”と涙顔。Aはこの子はお金欲しさで自分に近づいたのではないと感激。そして関係が続く。しばらくたった後、″マンションが古くなったので”とせがまれウン千万、″国の両親が手術するので”とウン千万せびられる。ジ・エンド。
彼女ではないが日本で一生懸命稼いでソウルの一等地にビルを建てた優れものも…
※権鎔大(ゴン・ヨンデ)韓日気質比較研究会代表の寄稿。ソウル大学史学科卒業、同新聞大学院修了。大韓航空訓練センター勤務。アシアナ航空の日本責任者・中国責任者として勤務。「あなたは本当に『韓国』を知っている?」の著者。
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