韓国に帰国して3年がたちますが、その間、韓国を留守にしていた18年間を振り返るには都合よく、日本の演歌調の「トロット」がブームになり、連日各テレビ局で競うがごとくオーデション番組を放送し、視聴率を争っていました。そのお陰で昔懐かしい歌はもちろん、その間はやった歌にどんなものがあったも知り、18年のブランクを埋める事が出来ました。
お陰で何人かの歌手が2008年にヒットした<ナヤナ/韓国トロット界の大スター、ナム・ジン(南珍)の曲>を歌っていたので耳に残りました。何か韓国人の庶民の思いを表現している気がしたのです。
題名からしていきなり‟俺だ俺様だ!(ナヤナ)”と自分を前面に押し出すところが韓国的です。日本でも自己主張をしますが、ここまで強く表現しないと思いますが…。先ずは周りの状況を見て自己主張すべきかどうかを空気を読んで判断しますが、韓国ではストレートに自己アピールしますので日本より角が立ち、騒がしくなりがちです。
オッと前置きが長くなりすみません。歌詞の翻訳をご覧ください。
風が吹いてる 街角の一杯飲み屋 素通りするにゃ寂しい
<繰り返し>
差しつ差されつ 一度は日の目を見る時が来るだろう!
アジャ 俺様のどこがどうだというんだ 俺を刺激するな
そこのけ運命よ!俺様のお通りだ!
時には羽根のように軽くあしらわれ
時にはチリ(虫けら)のように踏みつけられ アジゃ そんな日も
俺だ俺様だ 俺だ俺様だ 日暮れの路地で叫んでみても
濡れた影法師 風に吹かれ 道端によろけた足跡
風も冷たい夜更けに アジゃ 大丈夫 俺ぐらいだったら
<繰り返し>
何か物悲しい歌詞ですが軽快なリズムの歌なので暗くなく人生の応援歌になっていますし、韓国人気質が詰まった歌だと思います。
今は人間扱いされない、しがない身の上だけどそのうち一旗揚げて見せると肩ひじ張り自分を鼓舞する‟楽天”さが垣間見えます。
‟差しつ差されつ”韓国人は食べるにしても飲むにしても一人ですることはありません。必ず誰かと群れることを好みます。(最近は「ホンパップ/一人飯」がはやってるとマスコミが報じるのも逆に普通じゃないからニュースになる)自己主張するにも相手がいなければ駄目で、‟俺はこうしてこうして偉くなった”とか聞く相手がいて初めて成り立ちます。韓国人が食事会や飲み会で割り勘を好まず誰か一人が出す習慣も自己主張の現れではないでしょうか。
‟そこのけ運命よ 俺様のお通りだ”
悲しくて貧しい運命(羽根やチリのように軽くあしらわれる現実)なんかに押しひしがれるもんかと、俺が克服してみせるという強がりがうかがわれます。そう、韓国人は現状に満足せず、人に無視されないために偉くなるんだという感情を胸に秘めています。
これを一言でくくれば‟ハン(恨)”にたどり着きます。‟恨”という漢字の意味は‟人や何かに恨みを持つという思いですが、韓国の‟ハン(恨)”は恨みつらみでなく現状の悔しさをバネにしての上層志向へのエネルギーです。つまり歌のように‟いつかは俺だって”という楽天的な思い、‟希望”が込められています。
最後の‟大丈夫 俺ぐらいだったら”
人間扱いされない現実だけど俺様の能力だったら偉くなれるぞと自身を振るい立たせ、‟俺だって捨てたもじゃないだろう!”と。了
※権鎔大(ゴン・ヨンデ)韓日気質比較研究会代表の寄稿。ソウル大学史学科卒業、同新聞大学院修了。大韓航空訓練センター勤務。アシアナ航空の日本責任者・中国責任者として勤務。「あなたは本当に『韓国』を知っている?」の著者。
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